QURULI『坩堝の電圧』

くるりとしてはオリジナル・アルバム『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』から2年振り、10枚目となる。その2年の間に、巷間は劇的に変わってしまった。まずは2011年3月11日の東日本大震災、更には、天変地異や原発を巡ったエネルギーの討議から先進社会が築いてきた人類の轍を再考せしめる出来事の数々。くるり岸田繁佐藤征史という骨組みたる二人の体制から、コンセプチュアルな構成さえ伺えた『ベスト・オブ・くるり/ TOWER OF MUSIC LOVER 2』リリース当日の2011年6月29日に京都を拠点に活動を行なっていた吉田省念(Gt.Vo)、ファンファン(Tp.Vo)、田中佑司(Dr,Per)の三人を加え、五人となり、新たなフェイズに入ることになり、その後、ライヴ活動を地道に行ないつつ、「最良の選択」として12月28日にて田中佑司の脱退があり、4人のオリジナル・メンバー編成でのアルバムがこの『坩堝の電圧』になる。録音されたベースの場所は、韓国のソウル。サポート・ドラマーはあらきゆうこ、プロデューサーとしての参加のBOBOなどくるり作品で馴染みの名前が周縁を固める。

それは、初めてソウルで、ワンマンで行なったライヴの際の感触が良かったというのもあったようだが、タイトル通り、電圧差でかなり悩まされたというのも「らしい」エピソードだ。

なお、このアルバムに至るまでは、オフィシャルHPの岸田繁の日記で写真、想いとともに、かなり頻繁に報告されていた。印象深いものに、2012年3月11日に綴った日記での彼の言葉がある。丁度、1年前、3月12日のツアー・ファイナルとなる京都の磔磔での10-FEETとのライヴに触れつつ、完全なるアコースティック・セットで行なったときのこと、同時に、東日本大震災のことに触れ、「くるりは、ボボと(山内)総一郎と、ずっと一緒にプレイしていたいと思っていた。でも、総一郎はフジファブリックの看板をこれから立て直し、背負っていかなくてはならない時期だった。ボボもまた、新しい何かを模索していた時期だった。この日の演奏は、ある意味バンドの解散のようなものでもあり、様々な思いを詰めた。そして、この日のライブ演奏中だけ、大震災のことを忘れて音楽の中で楽しめた。」と記している。筆者も、このライヴは偶然、居合わせていたのだが、あんな形でのパフォーマンスはこれまでに体験したことがないものでありながら、京都の酒蔵を改造した老舗のライヴハウス磔磔に切なく響く声と鳴りだけの楽器は、長い間、くるりを観てきても、感じるものがあった。更に、彼の赤裸々な吐露が続く。「ツアーが終わり、私は京都に残った。震災の恐怖に恐れおののき、体もこころも震えていた。被災していなかったのに、すべてが失われたような気がしていた。顔に大怪我をしたりもした。その後のことはあまり覚えていない。辛く悲しい日々だったように思う。人を励ましたくても励ますことが出来ず、泣いてばかりいた。しばらくして、生き別れのようになっていた佐藤と会い、自分が元気にならないと、という話をした」。おそらく、岸田自身は本当に音楽活動を続けられないという気もあったと思う。但し、くるりというもはや屋号と象徴を終わらせることは違う、とジャッジをした結果、ロック・バンドとして転げてゆくことになる。

「坩堝」とはそのまま、混沌と異なるものが交わり合った狂騒、昂奮を指す。19曲というオリジナル・アルバムでは、最多となる曲が収録された様を示すには正鵠かもしれない。振り返ってみるに、アルバム毎に彼らはコンセプトやその時の衝動や想いを刻印してきた。ブルーズ、サイケデリック・ロック、フォーク、ポスト・ロック、ダンス・エレメント、民俗音楽、プログレッシヴ・ロック、マージービート、パワーポップ、クラシック、ルーツ・ロック、ソウル、カントリーなどを参照点、軸にしながらも、都度の機動力と横断性をもって日本のロック・シーンでも常に異彩の存在感を放ってきた。UKにプライマル・スクリームというバンドが居るが、彼らも作品の度に全く音楽性が変わる。くるりも似たようなところがありながらも、しぶとく続けてきた中、この『坩堝の電圧』は岸田繁佐藤征史の初期からのメンバーの色が出たというよりも、バンド組織体、くるりとして、吉田省念、ファンファンの一丸となった総力戦としての作品に帰結している。

リード・シングル「everybody feels the same」では、UKの2トーン・バンド、スペシャルズへのオマージュを示したジャケットのとおり、何かと混乱した時代に向けて、シンプルなロックンロールを投げかけるもので、ダイレクトに聴き手、受け手をスイングさせるものになっていた。作風やメンバーの変遷により、くるりという存在そのものが、見え辛くなっていた古くからのファンも、新しく聴き始めたというファンも、また、気になっていた周囲の層も巻き込み、東京、代々木公園での初のフリーライヴも敢行し、成功するなど新しい風、とともに新しい季節を迎えるアルバム、更にはくるりが主催として京都の梅小路公園で開かれている京都音楽博覧会という国内でフェスが乱立する中でも、特殊な立ち位置のフェスの近くに、届けられるのは感慨深い。

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ここで少しだけ、京都音楽博覧会についても触れておこうと思う。

京都音楽博覧会とは、2007年からくるりが主催となって立ち上げられたもので、夏に集中するフェスから少し距離を置いた、9月の秋分の日に行われるフェスである。当時、京都、しかも駅近くの市内でこういった大型の野外イヴェントが行われること自体が異例だった。なぜならば、京都は土地柄もあるが、騒音規制の問題やロックという音楽へのバイアスもまだあるからだ。ゆえに、周囲の近隣者の協力や多くのクリアランス事項を経て、アコースティックで、音量を絞り、行なうという条件が付き、更には午後7時には音を取り止めるとの中で、粛々と進められてきた。

初年度は、本当にかなり音量が絞られ、しかも、降雨下での厳しい状態で、観るこちら側もうまく咀嚼できなかったところがある。しかし、回数を重ねるにつれ、独自の暖かさと緩さが丁度、梅小路公園という京都の人たちが日ごろから愛する広い公園の持つ牧歌性、蒸気機関車館との交わり、まったりとした空気感が魅かれる人たちを巻き込み、ときに意表をつく演歌歌手の石川さゆりくるり・ザ・セッションでの過去メンバーとの試みなどラインナップの妙も含め、今や、1万人以上を集め、かなり早くにソールドアウトをしてしまう規模のものになっている。新幹線や飛行機など使って、遠路から来る人も多く、近くの団地から顔を覗かせて様子を見ている人も居る不思議な温度がある。

今年は、隣の京都水族館の関係もあり、タイムテーブル面での苦労はあったようだったが、これまでにない多くの人たちが梅小路公園界隈を行き交っていた。

京都の持つ反骨精神、オルタナティヴな気骨。それは、観光資源として多くの方の訪問を待ちながら、決して奥には踏み込ませない伝統と、誇りを示唆する。くるりと京都を結びつけるイメージを持つ人も少なくない。ただ、京都はその内側でさらに坩堝の中で煮えたぎるような熱量を持ったバンドやアーティストが行き交っている。大学が多いのもあり、学生たちの夜な夜なのセッション、ブルーズやサイケ・ミュージックのあまたのアンダーグラウンドでのやり取りは凄まじい。そんな熱を背景に、くるりは、京都からイロニカルに「東京」という曲でメジャー・デビューしている。京都から東京への距離感。文化差。それを筆致してきつつ、ときに中心・非中心を越境してきながらも、今回のくるりは「京都」の冠詞も「東京(中心)」への距離感よりも、そういった意味性を越え、総花的に多くの人たちに音楽の魅力そのものを押し広げたものになっている。

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この『坩堝の電圧』の19曲には、1分に満たない曲から7分を超える曲までが共存している。たおやかなメロディー、モダン・クラシカルのような風情の4曲目の「taurus」で出てくる《愛情のるつぼになる 草原を駆け抜け 牡牛のように》のフレーズから「坩堝」という言葉は引っ張られ、そのイメージ“るつぼ”というラングに牽引され、“ぼるつ”が合わさり、このアルバム・タイトルに帰着したというが、勇壮で重厚なギター・リフが響き、ボトムを落としたリズムがオープニングの幕開けに相応しい1曲目「white out heavy metal」はまるで、ザ・ストロークスかというようなストイックなロックンロールであり、《バレリーナ 夢の夜 舞い踊れば ファム ファタール あなたは 誰の幸せを 願うの このままじゃ 夜明けと共に 消えてしまう》という印象的なフレーズが残る、これまでのくるりではあまり見受けられない曲であり、岸田の歌唱もいつになく抑制と哀愁を帯びている。雪崩れ込むように、BPMが過去の彼らの曲でも最速と思われる軽快な運動会のフォーク・ダンス、はたまた、キャンプファイアー・ソングのモティーフをベースにしたとも思える、ファンファンのトランペットが冴え、転調、全員のコーラスが愉しく映え、意味よりも語呂を重視した2曲目「chili pepper Japones」は、新機軸になっている。

3曲目に来て、安心するのはシンプルなロックンロール、そして、リード・シングル「everybody feels the same」だからだろうか。なお、シングル内からは9曲目に「o.A.o」、14曲目に「my sunrise」が収められている。シングルで聴くと、華華しさが現前していたが、このアルバム内で聴くと、非常に優等生のような曲に聴こえるのが不思議だ。そして、ビートルズTomorrow Never Knows」のテープ逆回し的な意図、02年の『The World Is Mine』のときのような淡さと実験性を含んだ5曲目の「Pluto」から、次曲の「crab.reactor.future」は連作と考えられもする。「World’s End Supernova」〜「Buttersand/Pianogran」の逆位相として、《永久凍土から飛び出せ プルートゥ》を軸に、英詩主体の近年ではヴァンパイア・ウィークエンド辺りの保つギター・ポップの爽やかさを醸す美しさが在りつつも、00年の『図鑑』にあった「マーチ」にあった急な展開が訪れるのが彼ららしい。兎角、シンプルなようで多くの仕掛けと様々な音色が込められているのが本作の特徴でもある。7曲目の吉田省念がメインのボーカルを取るフォーキーな「dog」も麗しく、味わい深い歌唱力は柔らかく、今のくるりという組織体の中に染み渡り、外に放たれる。日常描写の切り取り方もさすがで、昨今のライヴでは「Thank You My Girl」を彼が歌っていたりするのもあり、吉田省念という存在が現在進行形でくるりには欠かせない存在だということが分かる。

感慨深い8曲目の「soma」。soma=相馬を指す。崩れ落ちそうなメロウネス、ピアノの音色が優しく色を描き、岸田のファルセットも含めて、じわじわと後半に向けて、ステップを歩み出させるようなリズムが胸に迫る。―息子よ 君はどこまでも どこまでも 続くこの道を 浜のほうへ 行くんだよ 産まれた場所へ いざなおう ここは どこまでも 遠く青い 嗚呼 相馬の町だよのリリックの後のファンファンの切ないトランペット、アウトロまででこの2年で、日本で起こった出来事の多くに胸を痛めていた人たちの感性に寄り添うかのように。そのまま、シングルでも馴染みの「o.A.o」がやわらかく続く。曲順も練りに練ったのが分かる、前半9曲のムードで、ロック・バンドのシンプルなロックンロール・アルバムではなく、どことなくオリエンタルで無国籍な淡さがあることにも気付くことだろう。

10曲目の「argentina」では、タンゴの蠱惑性が映える。「京都の大学生」でもシャンソンを用いたくるりだったが、基本、シャンソンもタンゴも酒場で皆がアルコールを片手に体を揺らせるミュージックであり、高踏でもない大衆のための音楽である。ただ、タンゴを基底にしながらも、ふとポルトガルのファドのような振り切れた岸田の歌唱をする部分も含めて、本当に一筋縄でいかない。今のくるりとタンゴは本当によく似合う。必然的な一曲だといえる。11曲目のギター・ロック「falling」も後ろで鳴っている効果音、パーカッションが輪郭を整えるように、総体を不思議な質感にせしめ、2分半には思えない実験的な曲になっている。00年代の一つの象徴でもあったバンド、アークティック・モンキーズの曲にも「Dancing Shoes」というものがあったが、同タイトルの12曲目の「dancing shoes」はより不穏で仄暗いロックンロール。「チアノーゼ」、「青い空」、「アナーキー・イン・ザ・ムジーク」系譜ともいえるだろうか、巷間との断絶/阻害に対峙して、地下室、自意識の内に籠もる。《踊れないのは 誰かのせいにして 踊りたい 二度と戻れない 踊りたいのに 踊れないのは 誰でもない わたしのせい》と言いながらも、《世界のせいにするなよ》との自己断罪が行なわれる。13曲目の全編、普通話(プートンファ、中国語でも、広東語、上海訛りなどがあるが、これは北京よりのいわゆる、東京的な標準語に近い。)でファンファンが歌う歌謡的な「china dress」は中華圏、この日本でも絶大な人気を誇るテレサ・テンなどのバラッドがときに潜める大陸的な慕情がある。14曲目のアイリッシュ・トラッド的な香りが漂い、肩の力の抜けた「my sunrise」は、シンプルながらも、聴き手側に安心感をもたらせてくれる。マス・ロックの鋭角性、ファンクネス、引きのアレンジメントの15曲目の「bumblebee」も面白い。16曲目の「jumbo」。タイトル名からアンダーワールドの有名曲を思い出す人も居るかもしれない、打ち込みが入った佐藤征史がメイン・ヴォーカルを取る、いささか無機性が漂う曲。〈DFA〉界隈の!!!、LCDサウンドシステムなどが一時期、持っていた冷ややかさとロック×ダンスのアマルガム。ただし、01年の『Team Rock』のときのような作品群とは差異があり、もっと野放図な大人の遊び感覚に溢れている。

ここまでで、気付いた人が多いかもしれない、今回、このアルバムでは英語タイトルが実に17曲を占める。英語詩が混じった曲もある。様々なバンドや音楽へのオマージュ、パーカッション、サンプリング、過去のくるりの来歴に対してのメタ・オマージュも散見する。ただ、日本語タイトルが付された「沈丁花」、「のぞみ一号」の後半の流れは静謐なセンチメントが発現する。「沈丁花」はとてもとても、繊細で悲しい曲。そして、「のぞみ一号」はフォーキーな雰囲気といい、「男の子と女の子」的な奥ゆかしさを含めながらも、その頃の温度とは違う、大人の姿勢として、凛と前を見て、紡がれる。《人の心 信を問う この輝かしさよ 雨を降らし 朝日をあびて 勝手に立ち上がる》、《あきらめずに 立ちはだかれ 涙なんて流すな》の言葉の破片が染み入る。

クライマックスの19曲目の「glory days」は壮大なロック・シンフォニー。東電、関電、福島の友達、東京の恋人、広島の野球選手、九州のお客さん、境港の同胞、地元の父母など多くの固有名詞をなぞり、4分30分を超えてからの展開が美しい。そして、くるり自らの曲から《everybody feels the same》、「ばらの花」から《安心な僕らは旅に出ようぜ》、「ロックンロール」から《裸足のままでゆく 何も見えなくなる》、「東京」から《君がいないこと 君とうまく話せないこと》をセルフ・オマージュした上で昂揚してゆく。この「glory days」で大団円なのか、この19曲の多彩性は語られるのか、というと、違うと思う。今回、どの曲にもこれまでになく、「進む」、「進め」、「行く」、「泳ぐ」、「走る」、「走れ」といったフレーズ群や匂わせるものとその背中を押すエネルギーに溢れている。

但し、最初に記したように、岸田は京都に戻り、京都をベースにしながらも、何らかの喪失と失意も抱えていたのだと思う。京都に友達が居て、実の家があっても、人間の帰巣本能とはどこまで自覚できるものなのだろうか。デラシネでもなく、人間とはある「はず」の故郷を探し求め、それを担保に置き、生活を進める生き物としたら、『坩堝の電圧』の19曲に込められたエントロピーはバラバラの場所でバラバラに生きる人たちの「same」を探そうと模索する。その「same」は感覚的に違うがゆえの無謀な模索というのは、岸田、佐藤、吉田、ファンファンの四人は分かっている。だから、こう歌う。

悲しみの果て どうか ここで 手を振る君に 愛をあげよう
「falling」

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思えば、リリースからもうすぐ3ヶ月を迎え、その間にも世の中は動き続け、不穏な気配もより出てきている。

この作品をして、新生、最高傑作という冠詞はもう、いいと思う。くるりというバンドがケミストリーを巻き込んだ音楽の奥深さとウィット、そして、覚悟を十二分に愉しむために飛び込めばそこに、何か、確かな「何か」があり、その「何か」は聴いた人たちのそれぞれに託されること、それが大切な作品なのかもしれない。

きっと、未来は続く。remember me―

坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)(初回限定盤B:DVD付き)

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