through 2016-same on Julianna Barwick ###

 2016年は「振り返る」のではなく、巨視すると、ずっと此岸から永い先へと繋がってくる悼みと望みの彼方を「見通せる」年だったのだと思う。もう日々の膨大な悲報/訃報にも流されないように構えているうちに違う単位(UNIT)が増えてゆき、禍福は糾える縄のごとく、水面下の現実はシビアながら、時代の移ろい、世代交代の時季がようやく大胆に訪れてきているのだとも。大きい組織体に属することが是ではなくなり、カンパニーで縦割っていた寄り集まり方より、どこかコロニーという横軸の集まりが言われる向きが出てきて、偏差から出す平均値は幻想みたく泡めいた。同時に、AIやテクノロジーの発達はとても鮮やかで、ヴァーチャル・リアリティ、拡張現実の瀬に居合わせる出来る僥倖もおぼえもする。でも、より自分の五感でペンを持つ人は消えなくなるのも明らかになってきて、そのアマルガムの中で便利な世の中で「不便」なことが求められてきている。

 そもそも、身の周りに溢れている当たり前のものは軍事目的や戦争の関係で作られてきたり、発展しているものが多い。日常は翌朝の戦場から再定義されてきたとしたら、きっと、これまで繰り返し、翻されてきた旧態的な憂いや職名は無くなっていくだろう。新たな創史、創職がなされてゆくのと同時に、「知的翻訳された言語」がある程度の作法を通じ、ベースを育み、コミュニティは都度の約束で連帯し、また、別の闘争(逃走)があれば、離合集散するのだとも思う。歴史に垂直に立つのではなく、並列処理の中で、自身の内部で歴史を鳥かごから一羽ずつ出すように。

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 プラセボ効果と呼ばれるものがある。これは過去の体験に依拠した期待値、条件付けが痛みの感覚に継続影響を与えるときに、ある治癒方法で良くなると信じると、脳内神経伝達物質、ホルモンで化学物質が出る効果。例えば、「握薬」なんていうのもそうなるかもしれない。別にそれが本当に薬じゃなくてよく、信頼できる医者などの説明を受けて出された薬を手に握っているだけで安心するような、これは他の事にも幾らでも援用できると思う。逆のノセボ効果に陥れば、痛みは強くなるが、期待の幅次第で、感覚は広がる。これからの世の中は暗澹たるものになっていって、不安や失望や尽きないと分かっていても、快活にwell-beingを進む人も少なくない。多様的な社会形成はそう、いや、全くうまくいっていないと言える向きがあるとしても、排除型社会になっているよ、と思っていたとしても、今は本当に色んな人種、民族の人が当たり前に混じり合えるようになっている。

 そういう意味で、ジュリアナ・バーウィックの存在とアルバムは印象的で、よく聴いた。四枚目を重ねる今作で知った人も多いだろうし、放浪の果てに生み出された結実は進むリアリティに合う。ノマドジーの飽和の時代を越えてきて―。ブルックリン・シーンというものがあった。「あった」というのは、今は、シーンとしてそれを捉えるのは違うからで、ヴァンパイア・ウィークエンド、アニマル・コレクティヴ、イェーセイヤーなどそこから縦横無尽に活動の幅を拡げていて、シーンというのは実質的にハッシュタグで形成されるような脈絡でしかない場合もあり、その#が無限増殖してゆくのは、PPAPのみならず、私的にベックの「Wow」が指針的にあった。

 Wiredで記事(http://wired.jp/2016/10/23/beck-instagram-clips/)になっていたので周知の人も多いだろうが、インスタ的なものを先取っていき、正直、オフィシャルの葉脈の恒常性が面白かった。
 
 また、京都のTOYOMUにも魅かれもした。何かと話題を振りまいたカニエ・ウェスト、その新作『ザ・ライフ・オブ・パブロ』を巡って、日本国内では手に入りにくい状況下―詳細はもう幾らでも出てくるので、調べてほしいが―タイトル名やサンプリングで想像で作り上げていったというもの。また、シンガーソングライターとして以外に、完全に今の日本の主要な場所に、しかし、オルタナティヴに占める事になった星野源、の『Yellow Dancer』というアルバムをモティーフに闇鍋に煮込んだような『印象I : 黄色の踊り(Yellow Dancer Arrangements)』TOYOMU - 印象I : 黄色の踊り(Yellow Dancer Arrangements) - YouTubeもクールだった。簡易な引用じゃなくオマージュじゃなく、なだらかな盗塁。選手陣営が張り詰め過ぎているがゆえに、こういった行為性は肝要になる。

 だから、今さらジュリアナ・バーウィックの名前を挙げるのは気恥ずかしさと、十二分なキャリアに裏付けされた意味合いの深度に恐縮をおぼえてしまうが、あえて。彼女自身の音源に触れていなくとも、レディオヘッドの「Reckoner」のリミックスRADIOHEAD - RECKONER (JULIANNA BARWICK MIX) - YouTubeで知ったという人も要るだろうし、ネクスト・ビョークだ、とか、オノ・ヨーコ関連で辿ったというもあると感じるものの、やはり「間違っていない」音を奏でる人だと再認のもとで。

 昔に、今のようなカオティックなEUじゃないスペイン、ポルトガルを訪れたときに、エンヤの曲が中和していた風景が脳裏をよぎるが、彼女はその続きから始めている感じがある。だから、今の瀬にフィットして、ずっと聴いていられるのとともに、このMVでもインスタレーションの集合態のようで、音風景は始まりが終わりなのか、終わりがそのまま始まりに戻ってゆくのか、濁されながら、消え、そういうところが美しく、未来に憂わないで居られる。きっと、そのままにまた、始まる。


Will

Will