くるり『The Pier』巡礼 Pt.1

Pt.1

悲しみの時代を生きることは
それぞれ 例えようのない 愛を生むのさ (「loveless」)

くるりは、不思議とシングルや単曲で浮かび上がるアウラがほぼ何らかの“直線的な”イメージ、オマージュと近似迂回するのと比して、アルバム・タイトルは反語的な要素を含む気がする。

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さよならストレンジャー』時はデビュー曲の「東京」に引っ張られた形で、京都のアンダーグラウンド・カルチャー、オルタナティヴ性と、サイケデリア、ブルーズに自ら「異端者」と名乗り、さよならと告げながら、総体エントロピーとしては、ウェルメイドなサウンド・メイク内で瀬戸際の破綻が在るか/ないか、を示唆する行間があった。ちなみに、アルベール・カミュの有名な著作『L’ETRANGER』は、終わりから始まる。終わりから始まり、最後に巡り戻るのかといえば、知っての通り、そうではなく、太陽の眩しさが物語を埋め、異端者たるムルソーの実存を暈かしながらも、際立たせる。

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そして、東京的な一種のヘゲモニー、価値観に対して自らのパースペクティヴを対象化するように、牙を向いた『図鑑』では、タイトルのまま捉えるには尚早な音響工作やエディット、ポスト・ロック、シンプルなロックなど多要素を、苛立ちと悲しみで内包しながらも、その時点での可能領域の幅を一気に広げた。

こんな気分は春一番に乗って消えてゆけばいいのに (「マーチ」)

涙を時代で拭えだって そんな馬鹿な 置いてゆくなよ (「ロシアのルーレット」)

見つめ合うことに飽きたらば 慕情の落ち穂拾い集め
燃やそうか ほら 流そうか 遊ぶ幼子の目に問うか (「宿はなし」、以上『図鑑』収録曲)

細部の音響への意識、多彩な世界中の音楽へのアプローチ、同時に、くるりというバンドの腹積もりを決めたような作品。また、アルバム・ジャケットやブックレットはスマートで綺麗な装丁のものへのカウンター的な要素もあるのも特徴だろう。MVでもそうだが、彼らはオルタナティヴであることに、自家中毒ではない真っ当な矜持がある。現に、その当時はわからなかった作品でも後で評価される―そういうことはよくあり、彼らの作品も早い時代の流れとは別に、残っていっている。

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今は、瞬間的に膨大なチアとジャッジが溢れる。

時代、一日一日を確りと見送り、美しく映えるものもあるのが待っていられないかのように。

その結果、“悪意的な何か(偽悪性)がベター”とされる昨今の日本の多くのメディアにも言えるものの、予定調和も在る限り、終わらない問題はない。太陽の眩しさと大気の澱みで惑わされがちになるが。

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ここで、『図鑑』を特にピックしたのは今作とのミッシング・リンクを少し感じながらも、当然に現在、多くの人たちの求められる彼らの在り方の特異性に触れたいと思ったからでもある。

併せて、”図鑑”はあくまで「こちら側」から見るものであるが、”桟橋”とは「こちら側」からの意思で参加するものでもある、との差異も付記できる。

深く長い音楽探訪を続け、英語タイトル、日本語タイトルのものを経ながらも、このたび、実にオリジナル・アルバムでは11作目として、『The Pier』という名称に行き着いたのは感慨深ささえおぼえる。付記しておくに、精緻な表記という恣意性は忖度頂きたい。『ワルツを踊れ/TANZ WALTZER』のように。

”Pier”とは“桟橋”を指し、到着/出発の象徴であるものの、アルバム・ジャケットと内容含め、その往来の二分線さえ曖昧な桟橋に立って、広くも変動し続ける時代に定点観測し、感情を民族音楽だけではなく、ポピュラーミュージックの持つ悠大な歴史性の中へ溶かし込むようなところもある。無国籍な慕情が美しいメロディーによって炙り出てきたり、「Remember Me」、「最後のメリークリスマス」、「ロックンロール・ハネムーン」といった既発曲においても、アルバム内で聴くと、文脈が複線化し、立体的に響く不思議さがある。だからといって、“情報量が多い=ややこしい”内容ではなく、サウンド・トリップできるコンセプチュアルな側面もある。

くるりの長い旅のあくまで「過程」として、『The Pier』を捉えるのは難しく、ここには彼らのラジオからの選曲でもわかる、M.I.A.からヤスミン・ハムダンのアティチュード、またはビートルズトッド・ラングレンなどの褪せないグッド・メロディー、ヌスラット、ラヴィ・シャンカールといったレジェンドから昨今のEDM、急進的なビート・ミュージック、ヒップホップなどマルチカルチャラリスティックな磁場からの影響が当たり前に表前している。そこに、彼ら流の日本のアーティストからのファニーでブライトなオマージュを受け、マッドなひねりや遊びがむしろ、より情感を浮かび上がらせもする。

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今春からバッド・ニュースから独立し、新事務所「NOISE McCARTNEY」を立ち上げ、自らのライヴ以外にも多様なイベントに積極的に参加してゆくメジャーデビューから15年目を越えたバンドの目まぐるしさはファンだけでなくとも、刺激的で、そして、多角的なメディアの在り方も注視された。ライヴでいち早く披露されたCM曲の「loveless」とともに、”変な曲”として演奏されながら、MVが公開されるやいなや、一気に話題になり、弊名としては音楽サイトのmusiplでも取り上げた「Liberty&Gravity」。

http://www.musipl.com/review/rv-00315.html

Note (https://note.mu/quruli)の使い方、曲の有料配信といい、くるりとしてワン・アンド・オンリーな在り方をより強めてきた気配があった。ゆえに、今作『The Pier』においては、十二分な導線がいくつも敷かれていたともいえる。決して、一筋縄でいかない作品になっているだろう、いや、今作こそがくるりの本懐だ、様々な意見が行き交おうが、桟橋なのだ。そこから旅立つ勇気(想像力)もあれば、引き返す勇気もある。

次回では、具体的に『The Pier』の各曲に触れていければ、と思う。解釈は無限にあるだけに、ひとつのパースペクティヴとして。

いくとこまでいく
(「Liberty&Gravity」)

追記:
なお Pt.2はこちらのサイトに寄稿致します。
【musipl】
http://www.musipl.com/

Pt.3 京都音楽博覧会につきましても ライヴ・レビュー含めて書きますので、
ここでは一参考としまして以前にHPに寄稿しましたものを。

音博の楽しみ方 その3
京都音楽博覧会、多様な国旗の行き交う場所―音楽を通じた日常

http://kyotoonpaku.net/2014/enjoy/vol3/