黒沢健一さんについて

 上方落語の名作のひとつとされる「たちぎれ線香」という演題がある。有名な内容なので周知の方も多いだろうが、船場の商家の若旦那と小糸という芸妓さんへの恋を巡っての悲しく、情味溢れる話。私的に、その好きなエピソードに実質的に現代に蘇らせた人間国宝、故・桂米朝さんのある時の「たちぎれ線香」を聞いて、この噺を誰よりも愛していた門人の故・枝雀さんが感動で泣きながら、楽屋に入ったら、衣装を脱ぎ捨てた米朝さんが大声で「親子丼、どこにある?」と叫んでいる現場にあたり、さっきの涙を返してほしいと枝雀さんが思った、というものがある。これをして、フィクションとノンフィクションを分けているプロフェッショナルの凄さやオンとオフの境目を縫うドライさがないと長距離の人生の中で、味が出てくる訳ではないなど啓蒙的なことを含ませようというのではなく、何でも「過ぎる」と、病んでしまう可能性があるという証左だ。「病む」という言葉が不適合なら、狂気と正常の境目を縫うくらいのところに行ってしまう人はそう居ない。ましてや、そこから時代に名を遺す人たちは本当にごく僅かの僅かだ。

 しかし、執念はどんな境界線でも要る。妄執にならない次元で。

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 今年、逝去した黒沢健一氏のことを想うと、なぜか上記のエピソードとともに、境界線を渡り歩いていける人だったことを痛切に感じ、いまだに喉元に引っ掛かって消えない。

彼は死なないというと変だが、歳を重ね老いても、ギターを持って歌っている姿がなんとなく想像できたからで、ニール・ヤングしかりボブ・ディランしかり、ポール・マッカートニーブライアン・ウィルソンなどの例に違わず、黒沢氏自体の作品リリースが空いても、サイドワーク的なプロジェクトやプロデュース・ワークでクレジットを見れば安心した。そういう存在はなかなか居そうで居ない。巷間では、L⇔Rのイメージが強いだろうし、ドラマ主題歌としての大ヒット「Knockin’ On Your Door」の印象もあると思う。商業主義じゃなく、精度の高いポップ・ソング。

 実際、訃報のあとの膨大なコメントにはそういった旨が沢山あった。裏方から始めたかった気質、頑固なようでシャイで、捻くれているようで、衒いのないポップスへの歴史への敬愛に溢れていた人。彼をして、稀代のポップ職人、膨大な音楽的知識に支えられた細部への拘りを持った才人という向きがあるのは承知で、取材で彼がビーチボーイズ、ルーツ・ミュージックなどについて話しているのは目立つ。でも、筆者のように彼の音楽から〈A&M〉のレーベルの作品群をあさったり、ロックンロールという前の音源を巡ったり、またサイケデリック室内楽的な音楽に魅せられた人も居ると思う。ブライアン・ウィルソンのマッドな才能が突き詰められた、実質は未完といえる『SMILE』に還るように。完成を前に投げ出すのではなく、近年の彼の音楽には何より音を奏でる楽しみが溢れていて、ただ、ストリングス編成だけのライヴをおこなったり、スタジオでの緻密なワークまで往来する自在さは新曲をコンスタントにリリースするスタンスに信頼もおぼえていた。自身、彼に奇抜なプロジェクトを起こしてほしいとかはなく、それこそ近年では、世の中の趨勢もあれども、ライヴ撮影OKをいち早く始めたり、緩くも、後継に音楽の豊かさを伝えていってほしかった。

 本物でも 偽物でも
 気にもしない 君が好きさ
(「Rock’n Roll」

 そもそも、L⇔R活動停止後のソロ名義でのシングル二作目に、大文字の“ロックンロール”という題目を用い、3分に満たないハミングが印象深い曲を持ってきた人だ。本物じゃないと、偽物に気付けない。でも、あえての視角からじゃないと本物の周縁をカモフラージュできない。「あえて」は玄人が気づけばよくて、誰が聞いてもいいものは良いものだという強度を持ちながら、細部に降りてみると、その伸びやかさに唸らされる。そんな、気付きを幾つももたらせてくれるところからして、少しだけ“彼のこと”を想い出してみる。細かい点は各自の精確なサーチや資料から確認しておいてくれればいいことを前置きして。

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 L⇔Rの幕開けといえるひとつ、ポップ・ソングの命題のひとつのテーマたる“Girl”を巡っての美しいハーモニーワークとフィル・スペクター的な巧みなセンスが溢れる「Lazy Girl」という曲で「マチネの切符をやぶって 夢みてばかりの悲しいWEEKEND」、「ピクニック気取りで通勤ラッシュを 横目で見ている PAPER DRIVER 支えのきかない 危ないBEDで 眠るのやめなよ OH MY LAZY GIRL」というクリシェを書くときから、既にエレガンスさと90年代のJ-POP的なものとは一線を隔していた。

 また、L⇔R時代では一番好きなシングル「恋のタンブリングダウン」みたいなサイケでユーフォリックでインドアで"ソング・サイクル"にねじれる曲と、エヴァーグリーンな青さを封じ込めた「君に虹が降りた」という組み合わせを発表してきたりで、巷間的に一気に知名度があがった「Remember」、「Hello It’s Me」あたりからの流れだと零れ落ちてしまうものがあまりに多すぎるのが都度、感じていた。その象徴に、最大のヒット曲の「Knockin’ On Your Door」の3曲目に「It’s Only a Love Song」という前作になるアルバムからのイロニカルで秀逸な曲を忍ばせたり、バランスよく毒を盛るところも彼らしく、ただ勿論、彼だけの力量や才覚ではなく、都度のメンバーや共同制作者との呼応もあるのは言わずもがながら、「Bye」、「Day By Day」、さらに「GAME」とシングル・カットが続く95年から96年の過度な狂騒。そのいわゆる、カップリング曲が今でも、反骨と奔放な遊び心が見えるものばかりで当時、リアルタイムでそっちの方が気になったのを思い出す。ベンチャーズ的なフレーズが楽しい「Chinese Surfin’」、シンプルなフォーキーさとオールディーズのアマルガムな「Cowlick(Bad Hair Day)」など。更に、サビだけがCMで流れると、ここまでのキャッチーな流れを受けたものかと思いきや、インドのシタールがうねり、サビ優先で作られた曲だったという「Nice To Meet You」から自身(たち)への相対化、見ざる聞かざる言わざるをメンバー三人のアーティスト写真に使い、アルバム名にかならずLとRが入っていたものさえ放棄して、振り切った97年のL⇔R名義として活動休止に入る最後のオリジナル・アルバム『Doubt』へと。

 これからの抱負なんて 正直言って分からない
 しゃべり切った未来を このまま流して
 「それじゃない やるじゃない」なんてお世辞言った君だから
 疲れ切って 過ぎてく 水曜日
 (「アイネクライネナハトミュージック」)

 Lazy “Girl”の姿はとうに無くなり、そして緩やかに彼はソロを始め、それまでの縛りから解き放たれて自由に裏方を演じるように幾つもの活動やプロデュース・ワークを経て、何か今聴いても切ないバラッド「Grow」という1曲目が水墨画のように滲む09年の本人名義の四枚目のオリジナル・アルバム『Focus』ではまた、彼自身の歌う姿が見受けられるようになり、私的にここらあたりから肩の力の抜けた、また諧謔精神やセンスより、ときに切なる想いやフレーズ遊びをぶつけるようなスタイルが好きだったりして、また、決して声量で魅せたり、味がある歌い手ではなかったが、彼の声だからこそ出る色彩はやはり他のワークスとは、違っていた。

「Grow」

 2013年の『BANDING TOGETHER in Dreams』ではL⇔Rのメンバー参加も話題になりながら、その後、こういうほんのささやかな記事黒沢健一『So What?』/ musipl.comも書いた。

 軽やかでまた、歳を重ねてきたがゆえの円熟味も増していて、マイペースな彼の活動を見守っていけるのが嬉しくもあり、今年の不意に入った病気療養の報もなぜか安心しているところがあったのが、

 ―いなくなってしまった。


 まだ実感が湧かない、というファンも多いだろうし、今回のことで黒沢健一の名前をまた再確認した人も多いと思う。だからこそ、彼の遺した音楽は尽きず口ずさまれるように願う。どれだけポップ・ミュージックが必要のない余裕のない世界になっていっても漂流(Wondering)しながら真逆に、真摯に、彼はずっと「歌の中」に居る。時間差でまた、涙や喪失が来るのは分かっていても。

 今すぐに 消えてゆく
 言葉より 君の声を
 (「This Song」)

LIFETIME BEST“BEST VALUE”

LIFETIME BEST“BEST VALUE”