中村一義『博愛博2012.12.21』によせて―51対49で生き延びること

生き延びてこそ、視える景色がある。おそらく、それは100対0などで決まるものではなく、51対49くらいのギリギリのラインだと思う。精緻に大文字の勝ち組は居ない。幻想の中でその組は形成されていても、その外で通じる言葉は敗けていることなんてよくあるからで、僕はおそらく、その「2」で生きた方向へ倒れた訳で、何も勝っても負けてもいないし、ただ、今視える景色は曇天の中にでも、仄かな光が探せるようになっただけで、昔だったら東京駅に降りたときの空の狭さに中ったりもしたり、以前よりも狭く深く知ることが出来るようになったかもしれない自分と違う環境で、場所で、性別で、言語で生きている人たちも雪崩れるように認握出来るようになった分、自由に不自由に逞しく、図太くもなった。ましてや、これだけの天変地異や既存システムが崩れている中で砂粒化した個々の内在不安の集体は世界中で奇妙なシンクを見せている。

愛が、全ての人達に、分けられてますように。
一回も考えなかった。「語ってるよ。」とか言って茶化して。
全ては良い笑顔のために。

(「永遠なるもの」)

何故か、渋谷でジョン・レノンクリスマス・ソングが雑踏を掠めていた。ずっと彼のまっすぐさが苦手だった。想像してごらん、国境なんてないことを。異国に居ると、色眼鏡だらけで囲まれ、日本内でも温度差はもう照応出来ないほどになっていても、ずっと、中村一義15周年、博愛博という武道館でのステージに宿るユーフォリアと切なさ、そして、彼が最後に「明日も生きよう。」と独り言のように言った台詞を反芻しては、何度も涙腺が感情が極まってしまう瞬間が尽きなかった。デビューして、孤独で塗り固められた音から紡ぎ出した「どう?」という問いかけから、100sという仲間を得ての初めての大阪でのライヴを観たとき、CDで鳴っていた音がラフ気味にライヴで再現される、そんな感慨があったが、あれから、自分も彼も歳を行った。随分と周囲もせわしなく、脱落者も増えた。

そこで、ベースボール・ベアー、サニーデイ・サービスくるり岸田繁佐藤征史、そして、100sの面々と同じ場所に立つ、過去から今までを、生き延びた者としての痛みと悼みを祝祭性に換える所作というのは、経験値と記憶の相克を抜いても、切実なハレが在ったと思う。切実なハレは、何だか皆が共に有拠出来るものが減ってしまった中での音楽とはおそらく、紐帯として機能する、そんな意味に沿えば、ステージ一杯に置かれた機材、あくまでメインとして声を張り上げる中村一義の姿は、とても感動的だった。

ライヴ形式も特殊で、入れ替わり、それぞれのアクトがステージに立ち、彼の曲をときに、彼らの曲を行なう、大阪、名古屋からの集大成的なものであり、最初のベースボール・ベアーとの1曲目、「1,2,3」から音響の良さと彼自身の想いが伝わってくる空気があった。

「もう、なんにもない」って前に、あいつは言った。
そうじゃない。
光景、刻む心が、ここにあった。

(「1,2,3」)

彼はよく「ここ」を歌う。
今回の武道館でもここに居る人たちへの感謝を何度も述べては、ステージに居る、ここに居たミュージシャンたちへの感謝も何度も繰り返した。同窓会ではなく、それぞれが生き延びた人たち、それは見守るオーディエンスもそうだったと思う。ベースボール・ベアーとは彼らの「Love Mathematics」を共に歌いながら、ギターロックとしての「セブンスター」、「希望」が映えていた。次への転換の間、ステージで一人、彼はずっと喋りながら、サニーデイ・サービスのセットが揃うまでの時間を過去の彼では考えられない饒舌さで繋いだ。サニーデイ・サービスのこの曲を聴いて、そっちはどうだい?というフレーズを衝撃を受けて、自身のデビュー曲でアンサー的に「どう?」と投げかけたという「青春狂走曲」での曽我部恵一氏との緩やかな繋がり、シンプルなバンド形式での”give peace a chance”シンガロング・ナンバーの「ハレルヤ」でのユーフォリアまでとても美しかった。

舞い上がれ、願いを言え。
(「ハレルヤ」)

続いてのくるり、ギターを持った岸田繁氏とベースを持った佐藤征史氏、ドラムに100s玉田豊夢氏のステージングは骨太だった。ラウドな中での「犬と猫」から始まり、そこに岸田氏の声や佐藤氏のハーモニーが重なり、続いての「ここにいる」でも流麗さよりも力強さが残るものだった。何度も中村氏は岸田氏や佐藤氏の名前を呼んでは、岸田氏も中村氏へレスポンスし、京都のレコード・ショップでCDを買って、「ここにいる」を繰り返し聴いたこと、今聴いても、凄まじい歌詞だという旨を話した。

まだ、大きな無限大が、みんなを待ってる。
闇を抜けると、そこは優雅な今日だ。
ただの平々凡々な日々に埋まる。
宝を探す僕が、今、ここにいる。

(「ここにいる」)

闇を抜けた後の明日ではなく、今日。ここにいることと無限大。この曲の時点、彼は明日を積極的に歌わなかったし、歌えなかった。その分だけ、今、今日の無限大をスタイルを変えながらも、貫いてきた。最新作の『対音楽』でもそうだったと思う。「ジュビリー」、くるりの「ロックンロール」、「ショートホープ」まで短くもとても永い歳月がそこに明滅していた。

100sのメンバーが一堂に会してからの「Honeycom.ware」。続いての「ウソを暴け!」は個人的にハイライトだったかもしれない。ベートーヴェンに対峙しながら、あくまで音楽そのものと長い期間向き合い作られた『対音楽』の1曲目にして穏やかに、静かに、熱を帯びる曲。その「ウソ」は具体的な何かを指さず、君の本当や嘘のウソまで捻じれる。それでも、『ERA』のときのような好戦性ではなく、慈しみの中での嘘までの接線が敷かれる。佐野元春氏からの慰労の手紙を彼が読み上げての、「Someday」のカバー。「君ノ声」、「永遠なるもの」となだらかに優しくドラマティックな曲が連なる。「キャノンボール」、「ロックンロール」までの本編、ずっとエレガンスに溢れていた。

70’s、80’s、90’sだろうが、
今が二千なん年だろうが、
死ぬように生きてる場合じゃない。

(「キャノンボール」)

死ぬように生きてる場合じゃない。そういう間に、本当に幾つものことは「終わる」。終わりから始まることも出来るとしたら、まだ、今はただの2012年で、すぐに新年が言祝ぐ。アンコールでの「歓喜のうた」。同窓会でも仲間同士の内輪のパーティーでもなく、彼の長い無数の傷に溢れた戦歴とキャリアが刻まれていた。

ちゃんと生きたものに、で、ちゃんと死んだものに、
「ありがとう。」って、僕はなんで想うんだろう。
ちゃんと生きるものに、で、ちゃんと死んだものに、
「ありがとう。」を今、言うよ。

(「歓喜のうた」)

誰もがちゃんと生きているのか、ましてや、ちゃんと死ねたのか、僕には分からない。でも、そこに「ありがとう」と想える意思は大きい。終演後に会った彼はとてもにこやかで、澄み切った笑顔があって、それがまた嬉しかった。

51対49で、生きる方向に進める行為は美しい。
歳を重ねることは悪いことばかりではないと今、心から想う。