くるり「NOW AND THEN」を観て

1)

「滅びの気配があるから、万象は美しい」と云う。その気配に怯えているようでは、額面のままの現実は拡張されてゆくばかりで、ときに過剰に「造形」されてしまう。CGの淀川長治があの口調でCMに出ながら、齢80を迎えた浜村淳は月曜日から土曜日まで、お決まりのネタと、くどいまでの反復芸を織り込みながら、澱みなく、2015年の憂き世の常態を話す。関西で続いているラジオ・プログラムからのものではなかったが、GREAT3が『ROMANCE』というアルバムの中の曲「バビ二ボン」で彼の声を用いたり、昨年に解散したTHE BOOMが『NO CONTROL』というアルバムの「大阪でもまれた男」で彼の澱みない語りがフィーチャーされていたり、ということがあったが、それは象徴と記号の二分線で分けられるものではなく、象徴としての浜村淳の流暢な話口調を現代の中の考証学的な枠にピン留めしておきたかった気さえする。

2)

今や、亡くなった人たちの声がとても大きな意味をもって届くことがある。多媒体で、かつての達者な声を持つ人たちは亡霊的に何度も不思議なように存在を「繰り返す」。その点、一回性の消失を望むようなパフォーマンスをしていたTVの中でこそ、生きていたとさえ言われるタモリは、2014年3月に昼の『笑っていいとも!』という娯楽プログラムを32年で終わりにして、その後、自身の念願だった鉄道旅や元来のアングラで不可思議な場に回帰し、それでも、芸能界を引退した上岡龍太郎氏が言っていた、ドーナツのように、真ん中の核心は知らなく、でも、知らないことを知らないというのは恥ずかしく、外堀の知識でも深く話せるスキルを持っているだけなんですよ、という文脈に沿う(こういった所作もなかなかできない)ように幅広いフィールドで、智識を披瀝し、いつかの敢えての無難なハナモゲラ語から次のシフトへ入っている。亡き作家の吉行淳之介は「彼は胃腸が強いから大丈夫だ。」のような言を述べたというが、大概の場合、煙草や酒、ストレスなどでそういったものでキャリアを終える著名人が多い中、タモリの胆力は益々、軒昂にさえ思えてしまうのは確かだ。「アテを食べるから太るんだよ。飲むときは。」みたいな18番のセリフを抜きに、彼は一生懸命に“養生”を行なおうとせず、ゆえに、適度なバランスで生を活性させるべく、アンテナを増やす。

***

就職氷河期のみならず、世の中が混乱してくると、必ず「安定した仕事を。」、「手に職を。」という風潮が生まれる。そのたび、資格学校は乱立する。学歴はシグナリング効果というものの、忍耐のように過ごす10代の大切な一年間以上の間を経て、入る機関は今や、職業訓練校、社会人養成予備校のようになっている。先日もホテルの支配人の方と話していると、「外語大学の生徒の方をインターンで雇っているんですよ。」というテーマになった。「英語、中国語だけじゃ対応できなくなってきていまして、また、諸言語には歴史があるでしょう。」とのことで、なるほど、と思った。でも、隣国もそうだが、日本の総人口が減り、勤労者が縮減されていったとしても、そんな「往来」は難しい時期が来ることもある。少しの国際的な摩擦で。そのときに、これまで通りにグローバルに、いや、だからこそ、原点に回帰に、という経営会議が起きても遅すぎる。実際に、蓄積したノウハウを持ち、多様なシナプスを持っている場が強く、長い社史や大規模なところを第三者機関が助けてくれるほど、甘くない。アンテナの増やし方(法)にも「固着」した概念があってはいけないのかもしれない。

3)

このたび、くるりは自身のアンテナに添うように「NOW AND THEN」と称して、来るべき2016年のバンド結成20年目に向けて、コンセプチュアル・ライヴを始めた。今回の第一弾は、メジャーデビューアルバムたる1999年の『さよならストレンジャー』、オルタナティヴな転機作たる2000年『図鑑』の二作にフォーカスをあてた内容。当初からの岸田繁佐藤征史とともに、現在のオリジナル・メンバーのファンファンが妊娠し、安定期に入っていないのもあり、新たに、ドラマーのmabanua、ギターの松本大樹をサポートに加えた体制で行なわれたが、『さよならストレンジャー』を少し振り返ってみたいと思う。

さよならストレンジャー

さよならストレンジャー

惜しくも亡くなってしまった、名プロデューサーにして音楽家佐久間正英氏とともに作られた『さよならストレンジャー』は、「東京」、「虹」という歌謡性を帯びた“ダイナミックなロック“たるリード・シングルを経て、1999年の春にリリースされたアルバムだった。浪人生のような三人のフォトグラフのジャケット、細部は凝られているが、オーセンティックで重厚なロック・サウンドと、巷間でのやや狂騒的なJ-POPブーム、小室系サウンドなどの鎮静化が起こりつつある中では、如何せん地味にも映り得た。時代背景と照合せしめるには、『さよならストレンジャー』は、京都という特殊な場所から東京、更には大多数のリスナーに向けて名刺代わりに伝えるには”こうせざるを得なかった“とも言えるが、その後、彼らの長いキャリアの側面で今作の曲は固定的なイメージを解し、その瞬間の色に変わる自在さを持っていた気もしただけに、何気なく演奏される「ランチ」、ピッチの上がった状態の「オールドタイマー」まで、くるりをしてカメレオン的に変幻自在に音楽性の移遷をして色んな角度から言われることがあるものの、湿っぽい、あの京都の梅雨が明けるか明けないかの肌に纏わりつく不快ではない叙情性は既にここにあり、重厚なサウンドと、フォーキーなサウンドがベースになりながら、ビートルズ『ホワイト・アルバム』的なサイケ性を京都的に意訳して、全体的には20代の若者の音とは思えない老成したアトモスフィアが形像されている。ストーンズ、ザッパ、ウィーザーレディオヘッドハイ・ラマズステレオラブカーネーションボ・ガンボスなどへのオマージュが逆回転するように。この『NOW AND THEN』ではその後のアルバムも取り上げられてゆくのだろうが、2014年には『The Pier』という多面的に拓けた最新のオリジナル・アルバムを作り、”泰安洋行“を続けるバンドがここに立ち返るというのは非常に興味深かった。このたび、初日のサンケイホールブリーゼで観てきたのだが、インタルード的なものも含め、曲順通り演奏される展開。今のアレンジメント、岸田氏の声で歌われる「傘」などは特に個人的にグッときた。

《無理やり笑って お願い笑って
幸せな、何も考えない幸せ》

(「傘」)

近年でもそうだが、メイン・ソングライターの岸田繁、そして、くるりは聴き手に強制的ではなく、ぼんやり託す歌詞、それに付随した曲が多い。「“そう”思ってくれてもいいけど、君は実のところ、“どう”思うのだろうか?」、そこを傘のただ一本を通じて、写し鏡のように預託する。例えば、「ばらの花」、「ワールズエンド・スーパーノヴァ」、「ハイウェイ」、「奇跡」などはお仕着せがない分だけ、ずっと聴き手を増やし続けているのもそういうことなのだろう。それぞれの生きてきた軌跡を重ねられる、曖昧で弱い部分。その「曖昧で弱い部分」をくるりは、いつも大切にしてきた。季節の移ろい、感情の移ろい、人生の儚さ、それでも、肯定していこうとするための附箋。そんな附箋の束が桎梏にならず、『さよならストレンジャー』は今の彼らの温度で、聞こえてきた。しみじみと、「りんご飴」も良かった。

***

解散しながらも、いまだに熱狂的な人気を持っているUKのオアシスというバンドのライヴDVDに『…THERE AND THEN』という作品がある。彼らの故郷のマンチェスター、またはロンドンで行なわれた初期のライヴをおさめた、凄まじくテンションの高いもの。実際、イントロが鳴り、リアムが、ノエルが唄え始めれば、同じく、数万人規模でオーディエンスも歌う。最近ではフェスが定着したのもあり、シンガロングの風景も珍しくなくなったが、95年、96年のときの雑然とした中でのカオティックな大合唱はまさに“…THERE”だという気がした。

反面、このたびは、「NOW AND THEN」の通り、“NOW”の中に、『さよならストレンジャー』、『図鑑』が芽吹き直し、リアルタイムにその作品を聴いていただろう客層以外にも確実に染み渡っていた。シンガロングというより、ライヴで初めて聴くであろう曲に意識を集中しているような人も少なくなく、特に、『図鑑』というアヴァンギャルドな作品がそのまま展開されてゆくカタルシス得も言われぬものがあった。「ああ、「ピアノガール」だ。」とか素面に戻りながら、この曲をよく聴いていたときの情景が春霞のよう脳裏に浮かんだ。あの子が元気でいてくれたらいいのだけど、それを知る術もないし、だから、せめて、願いだけを託しつつ、「屏風浦」も懐かしく、しみじみと染み渡り、と、不思議なもので、叙情的に聴いていた『さよならストレンジャー』より好戦的で、アップダウンの激しさに時おりしんどさをおぼえていた『図鑑』の方が今、聴くと、侘び寂びでいう“寂び”の要素が妙に胸に染みた。「惑星づくり」のミニマルな変位、「窓」の切なさ、「ガロン」のグルーヴ。

図鑑

図鑑

そもそも、『図鑑』はジム・オルークなどの参加もあったが、音響工作やベックや当時のUSインディーとの共振、前作からの反動と苛立ちをベースにした野放図な若さ、ゆえになし得るマッドなテンションが迸っていたが、その合間にまだまだ“これから(THEN)”さえ見えない不安要素も散見されており、その不安要素が“今(NOW)”からだと別種のセンチメントとして届いたのかもしれなかった。しかし、峻厳に自意識を追い詰め続けていたがゆえの産物の二枚のアルバムを、こうしてライヴで体感すると、フラッシュバックだけでなく、あの時代の空気とは個々に実存的な重さをなぞるものがあったのだな、と改めて。

ドーナツ状に空洞化されていたのは90年代の終わり辺りのあの風景だったのかもしれない、と思ったら、アンコールでは、じわりと地平線が見えたので、安心もした。万象は不安定で再生される可能性があるから、滅びない痛みもある。痛みのアンテナが変われば、美の基準も変わるのとともに、彼らのこのコンセプト・ライヴのこれからが非常に愉しみになっている。複層もの”在りし声”が亡霊みたく歴史を累積、加速させてゆくものの、こういった遡求的に、今に還る試みとは、どうあっても、もはや、生き延びた者のある種の宿命なのかもしれない、としたら、生き延びる、歳を重ねることは決して悪いばかりでもないな、と思う。

stopping on the way,don't worry

1)

季節の変わり目なのか、懐かしい顔に連日会い、ただ、自身もエネルギーがあまりない時期なので、適度に、という日の中で、自分たち辺りの同世代からの報は前線での生存報告に近いものが多く、弱っている人たちも現に多かった。いや、「弱っている」、というのは35歳を過ぎ、ミドルライフに差し当たる際の生き方の再定義、方針付けを試みようという意味で、これまでの生き方はどうなのだろう、みたいなところに思考が傾いでいる、そんな文脈で、もはや、「主題」たるテーゼが今はないから、それをして「弱っている」のは精緻に違うのだろうけど、気づけば10年振りに会う人、声を聞く人など居たりすると、ウラシマ的な時間論に浮かぶ。その中の一人に、博物館の学芸員をやっている知己が居て、いつも招待券を貰ったりしていたものの、偶さか、久し振りに会った。彼の関わっている展覧会にお邪魔して、ランチに、京都の手製のサンドイッチ店に寄って、そこは、サブウェイ形式で細かく注文できるのだが、自分たちの前後の客のオーダーに混乱している妙齢の女店員の方が居て、名札を見ると、「見習い中」で、少しは気にしつつ、その彼とあれこれ話しつつ、その前客がスマホをいじりながら、イライラと「だから、玉ねぎは要らないから!」と大きな声をあげたのに、店内の空気が少し凍てついた。その後、席について「最近、怒鳴り声を聞くこと、増えたよね。」という話になった。彼が言うには、博物館でも混雑する催しや展示物の前では一触即発みたいな雰囲気になることがあると言う。自分は少なくないお金や時間を割いて、ここまで来て同様に鑑賞する権利への主張があるものの、「譲り合う間にそう難しくなく、順路通り行けるのに、なぜ、焦るんだろうね。」みたく嘆いていた。僕は、「昔と、主体距離の感覚が、凄い遠いんじゃない?例えばさ、こうして対面で会っているときは、もうこの瞬間だけ、同じタイミングで会えることはないのだけど、間接的にLINEなりで会っている人へのレスポンスなどでちょっと待ってね、って機会が増えるほどにもうその場での対話って成り立っていない気もするんだよね。」と返すと、「ああ、複数の括弧つきの自我をやり取りしないといけないけど、統合するための道が渋滞しているのはあるね。」と言った。複数の括弧つきの自我っていうのはどういうことなのだろう、と想えば、何てことはなく、場を読む、場を読みすぎる主体性の社会的な分裂性を言うのかな、と察した。数年振りに会う人でも、前提条件があると、長い説明は不必要になる。ただ、そうじゃないと、どう話しても「伝わらない」。だから、ステレオタイプの説明書を要約して渡すような会話になる。「じゃあ、また。」と別れたあとに、ぐったりとしてしまうのは、説明書を渡す、渡し合う会話は会話ではなく、結果、誤配しか生まないという証左でもあって、時おり自己嫌悪に陥ってしまうのは道理なのだろう。そんな彼も今の仕事に煮詰まりを感じていて、任期を終えた後、「日本(京都)を出る」という。

2)

こういう御時世なのもあり、地方/海外移住をモティーフにしたセミナーから実際にそれを決める人たちも多く、意見交換の場は何となく熱気を帯びている。「自然の中で伸びやかに子供を育てたい。」、「過当競争社会じゃない場で地域貢献したい。」、「セカンドライフはゆっくりと過ごしたい。」などのよく見受けられるものから“ここ”じゃ煮詰まってしまった、八方塞がった、という切実なもの、色々あり、コンサルタントや地方都市の担当者は幾例とともに、プロジェクトを示す。

「田舎暮らし」、「海外暮らし」―それらは一時期のスローライフロハスなどの言葉みたく、魅力ある響きを含んでいるように見える。そして、TVや書籍では成功例の人たちの暮らしがうまく編集されている。30分、一冊に編集された中で、“良い部分だけではない現実的な重みや暗み”を見つめるには想像の幅だけでは足りない、可塑領域がある。「でも、それだけじゃないのでは。」という想いは鬩ぎ合うからこそ、ここではないどこか、の危うさは以前より大文字の逃避主義ではない、スタティックなリアリズムを帯びるものの、当たり前にそれらは遂行するのは幾つもの条件性が要る。まずは当然だが、生活をしていけるだけの所得、つまり仕事があること、その仕事が航続するために、周辺状況、例えば、所帯を持っているのならば、コミュニティの状況、親族の状況、または、I、Uターンにしてもその地方の財力、環境、治安、医療体制、海外ならば、言語的な問題とともに、宗教的な倫理観を擁する場への忖度、それらを包括するある程度の何かがあった際の見込み、試算としての蓄財など、簡単に考えるだけで幾らでも出てくる。ましてや、何度も実際に現地に足を運び、「問題ない」と決めた後に視えてくる現実は妙な制約の多さだった、なんてことはある。小さな共同体になるほどに暗黙の規律やSNSを通さずとも、あっという間に「新しく訪れた人」には詮索の目を向けられ、結界が張られる。最初は周囲の人も親切でとても良い場所に引っ越してこられて良かった、と思っていても、多くの会合の委員に任命されたり、細かい動きをチェックされて困る、なんてことはざらに出てきたり、やはり「新参の方には分からないでしょうが」みたいな障壁が徐々に出てくる。若い人が意気軒昂に地域振興のために向かっても、歓迎から振興以外の“あれもこれも”の雑務を負わされて潰れてしまう、なんてことは当然よくあるし、そこを変えていきましょうというほどには人間は大きな変化を是としない。

3)

想えば、一時避難の形で関西の遠縁を辿って、京都、大阪などには遠方から色んな人たちが来て、頻繁に会合が開かれていた時期からすると、“一時が長期化する”ほどに、「そろそろ」みたいな空気感が出てくる。ただ、当事者たちの帰りたいのは帰りたくても、の背景に諸事情がそれぞれに山積してゆく。そこを笑顔で受け止めていた共同体も金属疲労、老化してゆくと、「受け入れるための体制作りを。」というような、掲げていたスローガンさえ風化してしまう。スローガンだから、数年前の状態と今を照応せしめて、再編、見直しするのは止むを得ないことは出てくる。

そういうことを考えながら、積極的な受け入れ先のひとつだった公団住宅や集合住宅の隣を歩くと、ほんの前に知っていた部屋の幾つかから灯りが見えなくなっていたり、子供の声も全く入れ替わっていたりする。無事に戻るべき場所に戻っているのか、を願うより、どういった過程を歩んできたのだろう、と想いを馳せることが多いのは、いなくなってしまった場所には苦くも、少しの華やかさもあった残馨があるからで、おそらく、「生活」している「存在」が消失することとは、その後の存在する人たちが生活してゆく中で消失し得ない空白を背負い続けることなのだと想いもする。

あの愛嬌のある犬がいつも寝ていた場に、小さな子たちが好きだった白樺の木が切り落とされた光景に、雨風が強い日はすぐ休んでいたパラソルの下のたこ焼き店に、毎朝、聞こえていた声の総量が減ってゆくことに敏感になるほどに流転する無にいつかの自身の存在が生かされていたことを深く認識して、フラッシュバックする未来にせめて前を向こうと念慮が巡りもする。

4)

賑やかな都市に出れば、闊達な人たちの顔ばかり目をする。そして、狂騒的なムードに気圧されもして、弱っていたときなどは「最低限の目的」を果たすのも辛かったりした。皆が幸せに映り、自分は何をしているのだろう、なんて僅かな少しの時間の用務が永遠に終わらない気にもなった。捉え方次第で変わっていったのは終わらないものはないのと同時に、少しの時間で終わらない良いこともあるというのを感知したからだった。

終末や絶望的な何かに近いアウラが渦巻いている場所に居ると、ちょっと先にあるはずだろう繁華街を想像できなくなってしまうことがあるものの、でも、「今日はあの場所の窓から見える山に差す夕陽がとても綺麗だね。」みたいな対話が貴重に眩く大きくなってくる。実際に、角度や場所で自然の表情とはここまで変わるものとは知らず、それを知れただけで良かったと思える。贅沢なもので、少し元気になると、そういった感覚が鈍化してしまいはするのだが、純化した何かは残り続け、今でも、ある時に観た夕焼けは鮮明に思い出せる。

5)

ミドルライフに入り、生きる価値や幸せとは、考えることが何かと増えた。とても「大きい概念」だが、もっとささやかなことで、お金を持てば、出世すれば、旅行に行けたら、美味しいものを食べられたら、好きな人と一緒にいられたら、健康で居られたら―幾つもの尺度があって、それでも、何かが叶っても、満たされることはないのだと思う。満たされることはないゆえに、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」のような中庸性の道が如何に歩きにくいかも識る。息が詰まり、地上で溺れてしまうときが増えたならば、極端に今の庵を畳む決断をするのではなく、“視点の移住”はしてみてもいいのだと思う。

そこに行かないと分からないことがあったとしても、ここで生きてゆくには、そこに行かずとも、分かることは数え切れずある。

サザンオールスターズ『葡萄』を通じて見える遠望

《悲しい事は 言葉に換え 星を見上げて そっと歌うといいよ》
(「アロエ」)

自分にとってサザンオールスターズとはいつも距離感のあるバンドで、それは、比較はできないものの、ミスチルスピッツといった90年代から今に続くバンドに思春期が適応したというのもあるものの、時に巨大な装置性を拗らせたようなところがあり、とても真面目にふざけているクレバーさ、下世話さ、偽悪性と聡明さのバランスが合わなかったのかもしれないと思い返しもする。だからでもないが、いわゆる、90年代後半からの実験期といってもいいシングル「01MESSENGER〜電子狂の詩〜」、「PARADISE」などに微笑ましさを感じ、そして、模索の00年代に対してのレディオヘッドプロディジーなど同時代性の音楽や前衛性に対してあまりに勉強熱心なところと、桑田佳祐という才人がソロに戻ったときに見せるジョン・レノンボブ・ディランなどのルーツ・ミュージックへの真摯さと歌謡曲や“うたごころ”の心構えへの在り方が野暮ったく映ったのも否めないが、今回、『葡萄』というあくまでサザン名義のオリジナル・アルバムとしては10年振りとなるアルバムを聴いていて、グッとくる瞬間が何度もある。自身の加齢のせいではないと補足して。

***

『葡萄』のタイトルは作家の故・渡辺淳一氏の同名処女作からインスパイアされ、字面や言葉の響きから付されたというが、あくまで深い意味としてではなく、暖簾としてのものなのだろう。そして、暖簾の奥には決して目新しい何かが行なわれている訳ではなく、80年代的なディスコ、アメリカン・ブルーズなどのルーツ・ミュージック、ハードロック、ナイアガラ・サウンド、タンゴ、バート・バカラック筒美京平のような大きなポップス、ストリングスの入った壮大なバラッド、ザラッとした質感のフォークまで、数多の音楽の先達、歴史へのオマージュに溢れ、サザンの来し方そのものを網羅してみせるが、桑田佳祐紫綬褒章を受章したときの言葉から今作のキャッチコピーにもつけられている“大衆”芸能、音楽への殉教振りが寧ろ、心地良くあり、それはドリフターズのコントが、『寅さん』の映画がもう結末が分かっていても、つい観てしまう強度を持つような、知っているものをなぞり直してくれる安心があるからかもしれない。

故・音楽評論家の中村とうよう氏も“大衆”音楽ということをよく論じていた。例えば、三味線奏者の桃山春衣の1981年のセカンド・アルバム『遊びをせんとや生まれけん』を彼がプロデュースした際に、平安時代末期の民衆の歌を集めた「梁塵秘抄」から歌詞を取り、彼女が曲を付けたことに深く言及している。以下、『中村とうようアンソロジー』(MUSIC MAGAZINE増刊、主に、p157〜p158)から一部、引用、意訳しつつ、附箋を貼る。

梁塵秘抄」は、平安末期に編纂された歌謡集である。「古今集」などのような歌集と違って、当時の一般大衆が日常生活の中で実際に歌っていた歌謡、ハヤリうたを集めたものだ。平安末期という時代は、大きな転換期だった。聖徳太子たちが中国から学んだ政治組織で天皇を頂点とする日本の古代国家の基礎をかためた律令体制が崩れた動乱の中で、民衆の間に新しい歌が発生した。その発生過程をして、中国文化の影響を強く受けていた平安時代から日本独自の文化が育つ鎌倉、室町時代への移行期に、日本固有の大衆文化の最初の芽生えとして歌が出てきたということだったのかもしれない、と述べる。

ここで、「鎌倉」という地名にピンときた人は居ると思う。

1985年にサザンオールスターズはまさに『KAMAKURA』という二枚組の大作をリリースしている。彼らにとってもアナログとコンピューターの過渡期に奮闘した軌跡が刻まれた多彩な内容に富み、同時にあまりに、時代的な音でもあったといえる。ただ、昨年の年越しライヴではではここから「死体置場でロマンスを」、「Computer Children」、「鎌倉物語」なんていう流れがあったりする。そして、新作の中には「イヤな事だらけの世の中で」という、「梁塵秘抄」に入っていてもおかしくないような、”京”をモティーフにした今様(いまよう)な恋歌が入っている。

《イヤな事だらけの世の中で
登る坂道は向かい風
あの懐かしい日の想い出が
酔えば身に染む 涙ホロリ》

(「イヤな事だらけの世の中で」)

曲名だけ見れば、世知辛く思えるが、桑田自身は長屋の時代から普段から「やだやだ」と言いながらも懸命に生きてきた日本人の精神性を掬ったものだと取材で言っている。前述の「梁塵秘抄」の今様は、貴族や武士の縛りじゃない乱世の狭間の“遊び”の徒から生まれた事実に遡求すれば、“大衆”という意味に拘った理由がおのずと浮かんでくる。“賀茂川”を巡るところなど、特に。サザンにしても、2009年以降の無期限活動休止から2013年の活動35周年を機にした活動再開での間の時代の変化は異様だったといえた。天変地異や人為的な事件、世界情勢の軋みから、彼らの携わる音楽の在り方も配信がメインになったり、数年ほどとは思えない次元で。ゆえに、そこでやはり、『KAMAKURA』を想い出し、大衆(音楽)の強さを再確認しようともしたのかもしれない、と穿ったりもしてしまう。

逆に言えば、ここまで、角、エッジの矯められた拓かれたサウンドと、日本語の機微に拘った歌詞、4分間ほどの間にだけ見える「うた」の丁寧な手続きを経たまどろっこしさは”同時代の速さ”と親密にはそぐわない、と言えるのだろうし、快適に、効率的に、即効的に、といえる瀬では知的で少し余裕のある大人の所作と思えてしまう要素も含んでいるものの、百科事典でたまたま捲った項目が気になって掘り下げたことが後々に自身にとって大きな知識や意味になったりするみたく、この『葡萄』から拡がる景色は既視感より、遠望性を持つのではないか、と想いもする。そもそも、人間の心臓の鼓動のBPMは60〜120といわれる。BPMとは一分間に刻むビートの数で、どこかで音楽を語る際に使われているのを見たことがあるだろうが、最近はBPM180なんて当たり前で、よく考えると「身体に悪い」といえるものの、身体に悪いものほど快楽性が高かったりするから難しい。その点、このアルバムのリズムはしっかりと落とされている。

***

懐かしい友達、知己に会うと、時間が巻き戻されるよう、年齢関係なく、話題そのものが若くなったり、一杯のコーヒー、紅茶で何時間もあっという間に過ぎてしまったりする経験がある人は居ると思うが、そのときの「体感時間」は全く別種の時間論を縫うような気がしないだろうか。共有体験、共有知識がある分だけ“言わなくても”という前提条件のために割く時間、体力、ストレスは減る。しかしながら、その“言わなくても”という条件性がときに「労働」と呼ばれる代替性を帯びるから、時間、体力、ストレスを割き、生活に変換するケースも出てくる。どんな分野でも、専門家と呼ばれる人に大きなテーゼを聞いたら、「いずれ分かるよ。」と返すのはあながち間違いじゃない。怠慢な場合もあるが、勉励や年齢を重ねて、分かることは多い。そして、重ねたがゆえに余計に分からなくなる。都度、人それぞれ、原点に回帰、確認するという所作は行なわれるだろうが、無論、そんな単純なものではなく、人それぞれによっての生の重みの分だけ幾重にも結われる。

今作の中に「はっぴぃえんど」という、日本の伝説的なバンドそのままを付した曲があるが、曲そのものも流麗なシティー・ポップで亡き大滝詠一の影から、彼らの愛する湘南の潮風の香りが漂ってくるような情感あふれたものになっている。桑田自身が今作は歌詞に難渋したと言っているが、ここでの歌詞のフレーズも染み入るものがある。海街の風、旅の途中で預ける羅針盤、夢と希望が描かれる五線譜、昇る朝日が歌うボサノヴァ、そして、《ボクより長く生きる君よ》なんてフレーズが託される。メンバーへのラブソング、桑田自身の病気を経て、至った境地がある背景の奥に、個の心情が掘り下げられると、普遍的に響く証左なのかもしれず、個人的に数え切れず浮かんだ情景があった。もはや、この世にはいない人、ない景色がそこには含まれていて、そういったところまでリーチできるのが音楽や芸術の強みなのだと思う。リアリティの型枠の決まりきった解釈を同じ頭で答え合わせするのもいいが、答えや解釈は沢山あった方がいいときもある。公的な試験、ある程度の共通の言葉などは必要だが、皆それぞれ固有の道を生きている。その道が時おり他の誰かと交叉するから面白くもあるが、価値観の相違、意見の齟齬はあって然るべきで、“同調圧力”という概念くらい進行形で鑑みれば、場合によって味気ないものはないと思う。

だからなのか、「ピースとハイライト」の《歴史を照らし合わせて 助け合えたらいいじゃない》というのは全く荒唐無稽で大文字の響きじゃなく、今はしみじみサザンの声として聞こえる。戦後から70年になり、世界情勢が変わり、尚且つ日本の国内の状況も変わっていく中では、教科書通りの意見は無意味にしかなり得ないことがあり、「戦争はいけない」、「平和が何より」と一言で云っても、伝わり難い現状があるのは確かで、でも、暗黙の総意で規律、モラルを守っていこうという底流する何かは在る。昨今の「日本人のマナー、民度に感心する」という類いの言論はもっともかもしれないが、当然、総てではなく、底割れしてきている部分も出てきている。確かに、他の国、地域では在り得ないかもしれない整然とした行列の並び方、配慮、気配りなどはあるものの、見えているところだけではないところで、礼節、作法は混線してきてはいる。グローバリゼーションで喪われたものを探すより明らかに。

無論、そういったマクロ大の千差万別な懸念と、あくまで「個」としてささやかに生きる最小単位の生まで跨ぎ、難解にならず、『葡萄』からは制作作業の苦心惨憺の末の痕やサザンオールスターズという大看板を掲げ、キャリアを重ねてきたがゆえの渋み、重みより、ほんの少し先の未来に向けた約束状に似た軽やかさが漂う。2015年という時代性を鑑みたところも散見されるが、以前ほど同時代的な何かに極端に振り切れるのでもなく、聴き手を困惑させ、置いてゆくのでもなく、心地良い大衆音楽としての温度が通っている。そして、機能的に統一化された文字群やショートカットされた物言いではなく、毛筆でしたためる味わいのある手紙みたく、インクの跡が滲む人あたたかさ、癖が妙に染む。

《この世に生かされて 悪いことも良いことも
どんな時代だろうと 人間が見る夢は同じさ》

(「平和の鐘が鳴る」)

money isn't money pt.1

春先で世知辛いものの、庶務で貨幣論の色んな束を紐解いている。「貨幣」という固い言い方じゃなければ、お金、MONEY。どうも、元々、曖昧な概念に尾びれがついて、お金が在るものになっている現状が過熱している。いや、お金は確かに「ある」のだけど、そのものには価値はなく(GOLDの“金”は別として)、媒介手段としての暗黙の合意形成があるだけで、実際に何なのだろうと思うときがある人も多いかもしれない。例えば、昔、買い物などでボロボロの千円札などが回ってくると、早く手放すといい、なんてことを言われたり、金は天下の回り物っていうのはエクスキューズではなく、何となく「お金そのものの話」は卑しさを帯びていた前提があったりしたのだが、今は「お金持ち」とは「富裕層」を暗に差すようになり、その「富裕層」は幸せの指標に格納されたりするのを見ると、いや、ちょっとどうなのだろうと感じる。日本もカード社会になったけれど、やはり、都度、現物の貨幣も勿論、使われる。最近では、海外の旅行客が分厚い束の1万円札をピン留めしている光景も珍しくなくなったものの、逆に自分が新興国に行くと、スキミングなどに警戒して(そればかりではないが)、現地通貨の束を置いたりしているのを考えると、つくづく「取引」手段として用いるときに不思議で、不便な代物だと思う。

今や投資や投機で、在るはずのお金で現実を等価ではなくとも、動かせる世の中で、アベノミクスで「得した、損した」なんてことより、ハリウッド映画の『ウルフ・オン・ザ・ストリート』に倣うまでもなく、ウォール街の一部はいまだにどう機能しているのか、精確に答えるには何だか、そんなクレバーな仕組みで成り立っている訳ではないことが分かるからでもあり、だから、トマ・ピケティやら資本論の再考が騒がれる瀬は、それだけお金じゃなく、資本市場の血流の巡りの悪さを考えないといけない時代になったということで、とても不健康なのだとも思う。いや、「不健康」だと言っても、字義どおりではなく、資本主義や高度な自由市場主義が発展すれば、“相互信頼ベースの貨幣”が揺らぐ分だけ厄介だな、というくらいで、そこで翻弄されるほど、貨幣とはそんな大層な尺度なのかとなると、尺度としてはかなり杜撰なのも正直なところで、そこで、「国際経済学をやって、経済を学びましょう」というのは余計、複雑な迷路に入り込むことも多い。難解な数式が並んで、ケインズが、いや、マルクスが、なんてのは一般教養で触れたりしたら、どうにも「経済とは。」というお題目が高尚に映り、ますます目の前の市場は遠のくことがある。

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閑話休題。例えば、借款があってもやっていけるのは、返す見込みがあるという訳ではなかったりするのに、額面の借款で世界の先進国の日本は、と語られると、もれなく少子高齢化やこの頃では地方消滅都市などの話題も付いてくる。でも、国家の単位の信認性があるから、すぐには「円」は消えない。消えないという言い方がおかしいなら、円という言語はなくならない。それより、なくなりそうな、貴重な言語を気にした方がいいと個人的に思う。言語って無くなったら、復元するのは相当に難渋なのだが、例えば、「ユーロ」という一単位で多方面から話そうとしている現状を考えると、貨幣論というのも闇鍋みたいなものかもと改めて複雑な感情になる。となると、政治学地政学リスクまで含めて腹を割って、話そうという「言語」じゃない証左であるからで、難しい。地域通貨が言うほど成功しにくいのは、こういうところがある。ある小さい共同体で通じる「貨幣」を産官学連携などのプロジェクトで刷る。でも、結果、それぞれの言い分で拗れてしまうケースが多い。産側は直接に潤ってくれないと、意味がなく、その商店街から撤退しないといけなくなるし、官側はもう少し悠長に、先々を見越して、地の人じゃなく、観光客も、なんてことをやるし、学側は理論形成に勤しんだりする。という間に、結局、価値そのものの賞味期限が過ぎてしまう。少し話が逸れるが、ポイント・カードが増えすぎたのはそういうのとは違って、「代用通貨」だから、本体ありきで成り立つ。本体が盤石ならばこそ、成り立つという意味ではまだまだ健康な世の中だとも捉えられるけれど、ポイントが加点されるのは相当、グレーな領域も帯びる。

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自分が幼少の頃、今もあるのだろうが、時に折、「肩たたき券」や「食器洗い券」など紙を切って作ったりしたものだが、家庭内で通じる価値で、実労働力で具体的経済価値に換算され得ないところでは、無意味かもしれずとも、それで家族の中が潤滑に巡るなら、抽象的にでも経済価値はあったのだと思う。経済とは大きな社会市場ばかりを指す訳でもないからで、家庭にも「経済」はあるからで、となると、細かい話になるので、別途にして。

また、生活の変化や相対的価値の変化で、意味が変わってしまうものに貨幣論をあてがうのも野暮になってくる気がする。肩が凝るくらいのハードカバーの専門書籍に10,000円を払うなら、タブレット版で要旨を掴んで、図書館で借りれば、快適なのは言わずもがなだし、書き込んだり、実際に線を敷きたいなら、ワンクリックで注文できる。何かを買う行為は「手間」でも、「無駄」ではなく、「無駄」じゃない「手間」を試す順序は昔から比べると、膨大な数になった。それは悪いことじゃないと思う。語学を学ぶのでも、留学せずとも、オンラインで講座を受けて、ある程度、様子見をして投資できたりするタイミングをはかれるし、本当に欲しいものの優先順位は各々で保管している。いまだに、東京タワーとか世界の名所で絵葉書やメダルなんて売っているけど、やっぱり人間はどこか非合理だから、想い出を買うから、残り続けるものもあって、観光地で写真撮られて、1,500円って商売が成り立つのは、一日の食費の1,500円とは“別物”と考えた方がいい。昼の500円ランチであれこれ考え尽くす時間と、作りの粗いフォトスタンド付きの写真、1,500円に費やされる意味コストの問題もあるとして。

或る人が「死ぬまでの夢に、スペインのサグラダ・ファミリアを観に行きたい。」と言ったとして、その夢が叶った際の実コストはとてつもなく高いが、安い。でも、或る人が「大金持ちになりたい。」と言うとしたら、それは比較にならない。お金持ちになったら、スペインに何度も行けるかもしれないが、そういう問題じゃない。貨幣も「在る」、とされる言語が通用するうちにやり取りしておかないと、いつの間にか通じなくなる、そんなくらいのものだと思っておいていいくらいの気構えで成り立つ要素もある。

桜狩りて、

この数年ほどは桜の粋さ、儚さに魅かれて、膨大に「桜狩り」に出かけたものですが、おそらく、眼福としてのそれ以外に、伐採されましたり、時代の趨勢で変わりゆく景色の中で聳え立つ存在性にアディクトしていたような気が改めてします。桜もそうですが、何でも「終わり(しるべ)」の施錠をすることは容易で、維持する行為性の艱難さを想います。維持するための具体的な労力、知識、時間、それらは一朝一夕で育まれるものではなく、過去から連綿と続きます歴史性の中での「個の、集積体」で、大きな枝垂れ桜を愛でることができるのはその背景の奥行きを偲べるからで、たとえば、西行法師が遺した「願はくは花の下にて春死なむ」という有名な句に倣わずとも、春には幾重もの綾のような風の香りがします。この時節に、街で花束を持っている人が目出度いことなのか、一区切りの証なのか、または別の、そんなことに敏感にある限り、昨年と同じような道に並ぶ街路樹に同じはないのだ、と痛切に心に染みます。

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かつてから、知っていた場所が空き地に、空白になるたびに嘆息することもあったものの、記憶の中に残響し続ける限り、その場所は褪せなく、巡ることも歳を重ねるごとに気付きます。目の前の華やかで輝かしい未来的なオブジェが今を照らす訳ではときになくても、高速度に刈り取られてしまう最大幸福の象徴が分離していったとしても、エッシャーの騙し絵のような磁力に引っ張られている可能性は、ふとした瞬間に気付く軒先にできたスズメの巣や、知己からの久し振りの便りで知るささやかな日々の贅沢な囀りを思い返せば、否定できません。「主食は何ですか」という問いにも近く。

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翻りますに、いつもほんの目の前の子供の成長に追いつかないと言う人たちは、膨大な写真や動画の束を前に、ただ今、現実の目の前の子供は「親の記憶を携えて生きる」わけで、そういう意味で、分断される線はミシェル・フーコー的な連続・非連続の概念の間を縫うのかもしれません。

しかしながら、連続・断絶性という文脈を課しますと、ウッディ・アレンの新作はマジカルなのはまた、良いのは老境ゆえの、ではないでしょう、ゴダール然り。そういえば、ゴダールの3D映画は評論筋では、成功と聞いていますものの、ゴダールの成功とは歴史考証学的にバック・ビートの誤差がありますゆえに、個人的には観たゆえに、“HERE”で居たいと思っています。“THERE”には、冷ややかな温度が立ち昇る換喩的な非・権威装置への適度でアンニュイ、そもそも、アンニュイ自体が気怠く、思考的に面映ゆい示唆を含みますがゆえに、ゴダール的転回には相応しくないのですが、照応性の一端として、昔日のノーラン渾身の伏線回収のための”無理をした”SF映画インターステラー』がアシッドな時期のコッポラの某・迷作と並べられます時代性を帯びますから、結果的には、モノリスが突き刺さった場とは、ここではない、どこかではなく、どこかでもない、ここでもなく、ブラックホールに近づくほどに捻じれる総量をはかるための時間論なのかもしれません。そこでは、あとどれくらい分保持できるかの食糧、資源、酸素のカウントダウンが始まっていますが、今は極端に振り切れないとしましても、衛星状に廻っていることは「生きる」ことの当たり前ではなく、「生き延びる」ことの蓋然性への何重もの防衛機制が過度に個の領域を離れていっている、そんな思いも得ます。ポスト・ヌーヴェル・ヴァーグが至って「健康」で、ハリウッド・ノワール不整脈を起こしかけているなんて二軸は全く無意味としましても。

今のトレンドじゃない、下位構造に着実に侵食されています病巣があり、でも、階層構造を網羅できるほどには「親切な世ではなくなっている」といえます。溢れ出る情報と、完全に堰止めされた現実。数年前なら、「自身のリアルを生きた方がいいよ。」と言えたものが、そうではなくなっているイロニカルで、自発的な意思も寧ろ管理されているシビアな、統制性。消えた言葉は、届かない訳ではなくて、届く前に、いつかのハレー彗星騒ぎのようにタイヤのチューブを咥えている間に、しっかり届いているということ。ぼんやり、新しい年を、そして、新しい世界地図を見渡しますと、国境線で綱渡りしている人たちの多さに今さら、驚きもします。

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年々、自身も誕生日を迎え、歳を重ねることが決して賑やかしく良いことばかりではないとしましても、在るということは、来るべき過去的な何かを待ち続ける突発的で、やや危ういハプニングに終始し、自身への花束を手向けるには“まだ、時間は余っている“―そんな野暮な物言いは功利主義的な瀬では危うい精神論に抵触する気もしますが、死に際を選べないのと同じくして、日々の天気や少しの変化による生の手触りは生々しく迫ってきています。

但し、生々しさとは、一回性の死的な何かと近接しますがゆえに、悪くなく。そこから、始まり直すからでもあります。

SUNNY SIDE UP for new season

今でこそ、焦がれなくなったが、あの着色料で彩られた色鮮やかなジェリー・ビーンズは「異国の、味」がしたものだった。異・国というのは、自分がテリトリーとしていた場ではないところで育まれた文化が構築した味、という意味で、あの砂糖のコーティングを歯で噛み入れ、柔らかな食感と、袋の中の原色のそれぞれを確かめるときに感じたのはどこか背伸び(無理)している自身と、やはり自分の生きてきたテリトリーに戻ってしまう引き裂かれ方で、でも、春になれば、プラスティック製のイースター・エッグにそういったジェリー・ビーンズやガムが入っていたり、で。実際に貰ったり、目にした人も多いと思う。

日本にも沢山の宗教があって、それぞれに帰依を持つ人は多く居る。しかしながら、いまだ、八百万(やおよろず)に神が宿るならば、どこにも神はいないのと同じじゃないか、というイロニカルな言い方がされるほどに何かのときは神社に参って、式は教会で、なんてことは枚挙にいとまがないのも確かだ。昨今のハロウィーン騒動も元来、ケルト文化から秋の収穫を祝ぐ宗教性の高い行事だったものの、カジュアルに漂白されて、「公に仮装できる」ハレの日として日本は吸収して根付いた。

祭祀性には、文化、歴史、宗教、そして、何より人種、民族倫理的配慮が問われるべきことが多いが、基本、単一民族である島国で今のようなマルチカルチャリスティックな波をスタイリッシュにサーフするには、ナショナリズム的なアティチュードよりパトリオティズムとして立場を仮託して、原子的な共同体や、あるべき、だった故郷への切符を握りしめながら、“異地の、大切な儀式”への神経症的な無防備さがいるのかもしれない。

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色とりどりのジェリー・ビーンズが入ったイースター・エッグイースター・バニーによって運ばれることになっているが、そもそも、イースターとはキリストが十字架に掛けられて三日後、復活したことを祝う日を言い、キリスト教信者に重要な意味を持つ祝日で、思えば、国によってその前後の日の過ごし方は違うが、ゆで卵は勿論、子羊肉の料理などをもてなしてくれたことがある。ゆで卵のイースター・エッグにしても、東欧辺りの装飾は鮮やかで写真集で見て驚いたり、イースター・バニーでも、幼少期に居たドイツでうさぎを模った大きいチョコレートを何とはなしに食べていた。いまだに、知ろうとせずに、わからないでいられるポーズを取るのは容易でも、混じり合う瞬間にどことなくぼんやりとされる感性のボーダーラインには鋭敏になってしまう。ラビット・ランで境線は曖昧になっている訳ではなく。

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フラットに、サッカーのワールド・カップや皇室行事などで、自国の旗を振っている人を見る。自分は愛国者ではあるものの、イデオロギー的に、右的超越性に貫徹される実存担保も左的な不条理への条理的姿勢に伴う現実との差異幅へは踏み渡ることができないので、相対的な文脈でリベラルであろうとしていても、異国では、ときに、「JAPAN」のパスポートにサルベージはされている。

「寄りかかるものがなくて、大変じゃないか」と言われるときがあるものの、でも、それは、ホテルの朝食バイキングで自分の一人前で、目玉焼きが終わったような感覚に近くて、おそらく、ずっとサニーサイドアップを食べられないまま、来たようなもので、と、ターンオーバーはしないんだよ、と答えるにとどまる。そして、窓越しには賑やかなパレードが行われている。自分は「参加できない」のは分かりながら。

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例えば、病室には千羽鶴、誰かのメッセージ、想いのこもった賑やかな手紙が飾られているところがある。

「じいじへ はやく元気になってね。」―

拙い孫からの字を見ながら、壮絶な日々を送っていた方と話をしていて、ふと「退院したら何をしたいですか?」と言ったら、「墓参りかな。」と言った。「おばあさんのですか?」と聞いたら、「いいや、ずっと放っているお墓に不義理をしてるんでな。」というのを受けて、その先は聞かないようにした。「お天道様に不義理をしとったらあかんから。」、延命治療で痩せこけた体から呟くように言葉を置いた。そして、あるとき、その病室が空室になっていたら、壁には何もなくなっていた。それは当然だろうが、人が在るときだけ通じる場がある。「その、場」はささやかな祈り的な想いや願い、密な「その場を作った、人」を巡り熱量を形成する。

「遠い誰か一人の死に愚鈍になるな」、と言う人がいる。でも、「近しい、愛すべき一人の最期にさえ非力のまま、追い詰められる」こともある。忘れないでいること、というのは容易でも、「そろそろ忘れて、自分の人生を。」という人も居る。ただずっと「発見」、もしくは「納得」されない限り、その人にとって終わらない時間軸の中に包まれて続けているのだとも思う。寒い海の中を今も漂っているのを考えると、眠れないのもわかる。最期に何を思ったのか考えると、遣る瀬無くなる。

不義理をしたら駄目だというのはそういうことなのだとも思う。
だから、苦しくても生きた者は、生きるのだと思う。

新しい春が巡り来る。桜や花見に、変化を迎える季節に見上げるべきは空ではなく、足元から見上げた地下に眠る未来の予感ではないか、そんな気がする。ゆで卵の割り方に気を付けながら。

cloockwork day and over

またぞろ、と週刊誌や各所で、9世紀の貞観地震後の状況との共振性を煽るような向きが出てきた。平安時代、869年に起きた貞観地震については2011年の東日本大震災を経て、より注視されることが増えたので、どこかで目にした人も居ると思う。となると、富士山の噴火、南海トラフか、と専門家が過去のデータや今のシステムから分析し、警告する。そんな遠い未来ではない形で、大災害は起きるにしたと構えていても、配分を間違えて余った、誕生日のホール・ケーキの、「翌朝」のように喜びを持ち越せるほどの未来の存在も仮託されないと、あまりに現実は酷な様相も孕む。V.E.フランクル『夜と霧』によれば、強制収容所ではクリスマスや新年にかけて多くの死亡者が出たというが、それはとてもシンプルな理由に依拠する。つまり、労働状況があまりに苛烈で、周辺状況が峻厳などといったものが直接的な影響を及ぼしているのではなく、クリスマスにはここを出られるだろう、という在り得なくも、ささやかな内的な希みを託していたロープが切れた、そんな脆さを帯びる。八方塞がった状態での「明日」とは、永く深く、そして、淵に立って見渡せば先の見通せない暗がりでもあるとしたら、本当に「明日が来るか」より、アテにならなくとも、クリスマス、新年、新しい季節の予感に新たな身を傾けないと保持できない秒刻の不安との鬩ぎ合い。

思えば、もうじきの桜を俟つ間に、現在地や此岸を移る、または、旅立つ報が増えてくるのと同時に、現在地や此岸での小さき問題の束が視界を侵食してゆけば、空洞化した大きな言葉さえ“響き良く”聞こえるとはむしろ、当然の理なのかもしれない。未来が不在のまま、歳月は埋め合わす術なく、零れ、不在の有る間、意識は周縁的に蚊帳の外から内相を暈かす。また、独立した「時間軸」を持っている人も居て、ある認知症の方が毎度、出歩くのを付き添っていた際に、今は何もない場所なのに、そこに行こうとするのを調べてみると、もう亡くなった伴侶と昔、住んでいたアパートの場所だった、なんて話がある。その方にしたら、ちゃんと「還ろう」としていたのだろう。それまで知っていたことが少しずつ分からなくなっていっても。

知っていることほど美しく、悲しいことはなく、知っていたことを憶えていることほど「生」たる何かを後押しさせるものはない。「時計が停まったままの彼や彼女は老けないが、自身は老いてゆくばかりだ。」という紋切型の話ではなく、その人にだけ見えているアパートに帰るまでの時間がときに“あまりに長すぎる”のが根底の因子にあるとしたら、人の一生とは砂粒のようで果敢なくも、どうしようもない重みを感じもする。春は限りなく、遠い。

世界はシステムで動く ―― いま起きていることの本質をつかむ考え方

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