stopping on the way,don't worry

1)

季節の変わり目なのか、懐かしい顔に連日会い、ただ、自身もエネルギーがあまりない時期なので、適度に、という日の中で、自分たち辺りの同世代からの報は前線での生存報告に近いものが多く、弱っている人たちも現に多かった。いや、「弱っている」、というのは35歳を過ぎ、ミドルライフに差し当たる際の生き方の再定義、方針付けを試みようという意味で、これまでの生き方はどうなのだろう、みたいなところに思考が傾いでいる、そんな文脈で、もはや、「主題」たるテーゼが今はないから、それをして「弱っている」のは精緻に違うのだろうけど、気づけば10年振りに会う人、声を聞く人など居たりすると、ウラシマ的な時間論に浮かぶ。その中の一人に、博物館の学芸員をやっている知己が居て、いつも招待券を貰ったりしていたものの、偶さか、久し振りに会った。彼の関わっている展覧会にお邪魔して、ランチに、京都の手製のサンドイッチ店に寄って、そこは、サブウェイ形式で細かく注文できるのだが、自分たちの前後の客のオーダーに混乱している妙齢の女店員の方が居て、名札を見ると、「見習い中」で、少しは気にしつつ、その彼とあれこれ話しつつ、その前客がスマホをいじりながら、イライラと「だから、玉ねぎは要らないから!」と大きな声をあげたのに、店内の空気が少し凍てついた。その後、席について「最近、怒鳴り声を聞くこと、増えたよね。」という話になった。彼が言うには、博物館でも混雑する催しや展示物の前では一触即発みたいな雰囲気になることがあると言う。自分は少なくないお金や時間を割いて、ここまで来て同様に鑑賞する権利への主張があるものの、「譲り合う間にそう難しくなく、順路通り行けるのに、なぜ、焦るんだろうね。」みたく嘆いていた。僕は、「昔と、主体距離の感覚が、凄い遠いんじゃない?例えばさ、こうして対面で会っているときは、もうこの瞬間だけ、同じタイミングで会えることはないのだけど、間接的にLINEなりで会っている人へのレスポンスなどでちょっと待ってね、って機会が増えるほどにもうその場での対話って成り立っていない気もするんだよね。」と返すと、「ああ、複数の括弧つきの自我をやり取りしないといけないけど、統合するための道が渋滞しているのはあるね。」と言った。複数の括弧つきの自我っていうのはどういうことなのだろう、と想えば、何てことはなく、場を読む、場を読みすぎる主体性の社会的な分裂性を言うのかな、と察した。数年振りに会う人でも、前提条件があると、長い説明は不必要になる。ただ、そうじゃないと、どう話しても「伝わらない」。だから、ステレオタイプの説明書を要約して渡すような会話になる。「じゃあ、また。」と別れたあとに、ぐったりとしてしまうのは、説明書を渡す、渡し合う会話は会話ではなく、結果、誤配しか生まないという証左でもあって、時おり自己嫌悪に陥ってしまうのは道理なのだろう。そんな彼も今の仕事に煮詰まりを感じていて、任期を終えた後、「日本(京都)を出る」という。

2)

こういう御時世なのもあり、地方/海外移住をモティーフにしたセミナーから実際にそれを決める人たちも多く、意見交換の場は何となく熱気を帯びている。「自然の中で伸びやかに子供を育てたい。」、「過当競争社会じゃない場で地域貢献したい。」、「セカンドライフはゆっくりと過ごしたい。」などのよく見受けられるものから“ここ”じゃ煮詰まってしまった、八方塞がった、という切実なもの、色々あり、コンサルタントや地方都市の担当者は幾例とともに、プロジェクトを示す。

「田舎暮らし」、「海外暮らし」―それらは一時期のスローライフロハスなどの言葉みたく、魅力ある響きを含んでいるように見える。そして、TVや書籍では成功例の人たちの暮らしがうまく編集されている。30分、一冊に編集された中で、“良い部分だけではない現実的な重みや暗み”を見つめるには想像の幅だけでは足りない、可塑領域がある。「でも、それだけじゃないのでは。」という想いは鬩ぎ合うからこそ、ここではないどこか、の危うさは以前より大文字の逃避主義ではない、スタティックなリアリズムを帯びるものの、当たり前にそれらは遂行するのは幾つもの条件性が要る。まずは当然だが、生活をしていけるだけの所得、つまり仕事があること、その仕事が航続するために、周辺状況、例えば、所帯を持っているのならば、コミュニティの状況、親族の状況、または、I、Uターンにしてもその地方の財力、環境、治安、医療体制、海外ならば、言語的な問題とともに、宗教的な倫理観を擁する場への忖度、それらを包括するある程度の何かがあった際の見込み、試算としての蓄財など、簡単に考えるだけで幾らでも出てくる。ましてや、何度も実際に現地に足を運び、「問題ない」と決めた後に視えてくる現実は妙な制約の多さだった、なんてことはある。小さな共同体になるほどに暗黙の規律やSNSを通さずとも、あっという間に「新しく訪れた人」には詮索の目を向けられ、結界が張られる。最初は周囲の人も親切でとても良い場所に引っ越してこられて良かった、と思っていても、多くの会合の委員に任命されたり、細かい動きをチェックされて困る、なんてことはざらに出てきたり、やはり「新参の方には分からないでしょうが」みたいな障壁が徐々に出てくる。若い人が意気軒昂に地域振興のために向かっても、歓迎から振興以外の“あれもこれも”の雑務を負わされて潰れてしまう、なんてことは当然よくあるし、そこを変えていきましょうというほどには人間は大きな変化を是としない。

3)

想えば、一時避難の形で関西の遠縁を辿って、京都、大阪などには遠方から色んな人たちが来て、頻繁に会合が開かれていた時期からすると、“一時が長期化する”ほどに、「そろそろ」みたいな空気感が出てくる。ただ、当事者たちの帰りたいのは帰りたくても、の背景に諸事情がそれぞれに山積してゆく。そこを笑顔で受け止めていた共同体も金属疲労、老化してゆくと、「受け入れるための体制作りを。」というような、掲げていたスローガンさえ風化してしまう。スローガンだから、数年前の状態と今を照応せしめて、再編、見直しするのは止むを得ないことは出てくる。

そういうことを考えながら、積極的な受け入れ先のひとつだった公団住宅や集合住宅の隣を歩くと、ほんの前に知っていた部屋の幾つかから灯りが見えなくなっていたり、子供の声も全く入れ替わっていたりする。無事に戻るべき場所に戻っているのか、を願うより、どういった過程を歩んできたのだろう、と想いを馳せることが多いのは、いなくなってしまった場所には苦くも、少しの華やかさもあった残馨があるからで、おそらく、「生活」している「存在」が消失することとは、その後の存在する人たちが生活してゆく中で消失し得ない空白を背負い続けることなのだと想いもする。

あの愛嬌のある犬がいつも寝ていた場に、小さな子たちが好きだった白樺の木が切り落とされた光景に、雨風が強い日はすぐ休んでいたパラソルの下のたこ焼き店に、毎朝、聞こえていた声の総量が減ってゆくことに敏感になるほどに流転する無にいつかの自身の存在が生かされていたことを深く認識して、フラッシュバックする未来にせめて前を向こうと念慮が巡りもする。

4)

賑やかな都市に出れば、闊達な人たちの顔ばかり目をする。そして、狂騒的なムードに気圧されもして、弱っていたときなどは「最低限の目的」を果たすのも辛かったりした。皆が幸せに映り、自分は何をしているのだろう、なんて僅かな少しの時間の用務が永遠に終わらない気にもなった。捉え方次第で変わっていったのは終わらないものはないのと同時に、少しの時間で終わらない良いこともあるというのを感知したからだった。

終末や絶望的な何かに近いアウラが渦巻いている場所に居ると、ちょっと先にあるはずだろう繁華街を想像できなくなってしまうことがあるものの、でも、「今日はあの場所の窓から見える山に差す夕陽がとても綺麗だね。」みたいな対話が貴重に眩く大きくなってくる。実際に、角度や場所で自然の表情とはここまで変わるものとは知らず、それを知れただけで良かったと思える。贅沢なもので、少し元気になると、そういった感覚が鈍化してしまいはするのだが、純化した何かは残り続け、今でも、ある時に観た夕焼けは鮮明に思い出せる。

5)

ミドルライフに入り、生きる価値や幸せとは、考えることが何かと増えた。とても「大きい概念」だが、もっとささやかなことで、お金を持てば、出世すれば、旅行に行けたら、美味しいものを食べられたら、好きな人と一緒にいられたら、健康で居られたら―幾つもの尺度があって、それでも、何かが叶っても、満たされることはないのだと思う。満たされることはないゆえに、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」のような中庸性の道が如何に歩きにくいかも識る。息が詰まり、地上で溺れてしまうときが増えたならば、極端に今の庵を畳む決断をするのではなく、“視点の移住”はしてみてもいいのだと思う。

そこに行かないと分からないことがあったとしても、ここで生きてゆくには、そこに行かずとも、分かることは数え切れずある。