ジャンゴ・レコーズ25周年によせて

近鉄奈良駅を降りて、奈良公園の方に出ず、ひがしむき商店街を歩き、大きな三条通りを跨ぎ、正月などによく特集されますお餅つきの早い中谷堂のすぐ隣のもちいどのセンター街を少し歩けば、小さな看板「Django Records」というものが出ています。

昨年で開店から25年を迎えました、いわゆる、街のCD、レコード・ショップです。現今、音楽産業や音楽媒体を巡る急変もあり、「実物」を扱い、また、店特有のカラーを出すところは無くなっていっております。背景には、経済的状況も大きく、また、通販、配信文化、都市に固まる大型店舗でチェックする選好性、幾つもの要素が絡み合っています。常連客と言われていた人たちも仕事や家庭の関係で、そういった磁場から離れることもあるでしょうし、定期的に同じ収益を保つことができるサイクルが描きにくいものだけに、「音楽が好き」という理由では続けていけない状況は全国にもあちこちにあるのでしょう、老舗レコード・ショップの沈み方は火を見るよりも明らかです。かつては、犇めいていた中古レコード・ショップを有し、電気街としての存在を放っていました大阪の日本橋にしても、良くも悪くも変わってしまいました。

その時代に応じたその様式が流行るのが「トレンド」と言うに致しましても、温故知新、人と人が向き合い、その対話の交換の中で新しい何かに気付く、それが有人店舗の醍醐味です。私が1994年に高校に入ったとき、当時はWAVE(輸入盤)文化、J-POP、小室系、経済的に「失われた10年」になってゆく中でも景気はハイ・ヴォルテージを保持し、CD、ヴァイナルが多くの人に届いた時代であり、音楽によってセンスが鍛えられるくらいの風潮があったのを懐かしく想い出します。高校生の私には、CDアルバムで国内盤で3,000円という価格設定と懐具合はトレードオフにあったのですが、とにかく、色鮮やかなジャケットを観て、店内に流れている音楽を聴き、ときにご厚意で気になっていたCDの音源も試聴させていただいたりで、カラフルで勉強や部活動、そういったものの間に音楽が入ることで随分と視野が変わりました。当時、Django Recordsは、近鉄奈良駅のひがしむき商店街ではない逆側、さくら通り(現・小西さくら通り)商店街のすぐ入った町屋にありました。

いつも多くの人で賑わっており、同時にWAVEの袋を持った人たちも居たものでした。イタリア映画のサウンドトラック、渋谷系と呼ばれたシーンを軸にしたスタイリッシュな品揃え、ヴァイナルの豊富さ、奈良の片田舎から煌びやかな世界にイメージだけでも届くような気になったものでした。しっかりお金を落とせる良い客では私はありませんでしたが、そのお店で手に入れたCDやヴァイナルは一生、残るものは少なくなく、のちに或る程度、経済的与件に困らなくなったとき、そのDjango Recordsのチョイス、手書きのポップ、松田店長との対話を経て、多くの視野の広さを手に入れることになりました。

奈良という場所は観光資源としては素晴らしい場所かもしれませんが、近くの京都と同じく、どんどんと知っていた景色は変わってゆき、ノスタルジーの中での記憶を噛み締める、そういう行為も増えましたが、居る人が居る、あるものがある、そういった嬉しさはずっと変わらないものです。CDやレコードを手に取れば、その時の自分が想い出せるように。