1960年代の10枚

巷間の「ロック・アルバム100選」やカタログなどはいつも興味深く見ながら、入り口は幾つもあったことに越したものはないと思います。特に配信、相互性が高まった今では、入り口はどんどん作られます。ただし、歴史性、考古学、シーン、様々なものを鑑みないといけないのもあり、やはり難しいな、とは想えども、どんな場所でも、THE BEATLESの『サージェント・ペパーズ』などが一位になる景色に倦むのも少しはあります。今回は、敢えて、名前やジャケットなど誰でも知っているものの…というような、1960年代に絞った10枚を択んでみました。

1,THE ROLLING STONES『Beggars Banquet』(1968)

ゴダールの『ワン・プラス・ワン』での『Sympathy For The Devil』ができあがる過程を切り取った映画を観て、ビートルズの『サージェント・ペパーズ』を真似てサイケデリアに傾いでいた「She’s rainbow」渡りの虹彩の裏側で撥ねるようなドラッギーで幻惑的な世界を後に、デモーニッシュに暴力的なR&B、カントリーに立ち返った、黒くて深い危険な香りが今でもする一枚です。「Prodigal Son」もその戻る場所を探していた、という証左でもあります。

2,THE BEATLES『Revolver』(1966)

いわゆる、「スタジオに籠もりだし」、機材への意識が端緒となった作品ですが、ビート感とサイケデリアが融合にしながらも、まだ、インドアに閉じず、「外」に開けていくロックの健全な不健康さが溢れているのは何よりこの作品ではないか、とも。

3,BOB DYLAN『Bringing It All Back Home』(1965)

ディランといえば、プロテスト・フォークの旗手からエレキを掻き鳴らし、反逆のロック・スターへ、と書割が待備せしめているかもしれません。実際に「Like A Rolling Stone」の当時のライヴ映像では混沌としておりますし、作品的にもそれが入った『Highway 61 Revisited』が粒揃いなのですが、その過渡期として後半にはフォーキーな作品が固まり、前半には好戦的なロックが集まっているこのアルバムも重要作なのではないか、といまだに思います。

4,THE BEACH BOYS『Pet Sounds』(1966)

現在ではクラシックに認定されてしまったともいえますが、この万華鏡のようなサウンドワークはやはり凄いものです。良い音響システムで聴きますと、音の位相、レイヤーがここまで多岐に渡っているのだ、と再発見もあり、同時期にビートルズも演奏よりも「鑑賞」に耐え得る音楽へ傾いでいったように、しかし、それ以上にパラノイアブライアン・ウィルソンがマッドなポップネスへの殉教に溢れて創った一枚かもしれません。ゆえに、『Smile』は「予め、失われた傑作」だったのは否定されるべきことではなく。

5,GRATEFUL DEAD『Live Dead』(1969)

当時のヒッピーの(総てではなく。)少なくない数が明確な自己主張と刹那主義を纏いながらも、反体制的なアティチュードとして日常を遵守していたところは美しい蚊帳の外を可視化できます。ジャムやインプロヴィゼーションインタープレイの退屈さに欠伸をしてしまう人でも、23分の「ダーク・スター」に宿る延延に続くようなグルーヴに身を預けたら、感じられるものがあるはずで、今の人力トランス系譜へと続く「音でトリップできる」バンドの原点はやはり、デッドになるのではないか、と再認識することもあります。

6,THE DOORSThe Doors』(1967)

地獄の黙示録』での「The End」のはまり方がいまだに印象が深いのかもしれませんが、世界の最果てに音楽は鳴らないかもしれないですし、ジョン・ケージ4分33秒の先に鼓動が、雑踏が聴こえるのかは、少なくとも私にはまだ「何も言を俟てない」のですが、ヴェルヴェッツのアート性や暗黒さ、や、ツェペリンのマチズモとは一線を隔した何処までも底へ沈んでいくような感覚、をロック側からジム・モリソンがビートニク的に表象した鈍光輝く一枚。もしも、自分が、手元に2,000円しかなかったら、今だったらTHE BEATLESTHE ROLLING STONESPINK FLOYDではなく、THE DOORSを買うかもしれない、というのは現代的な何かとの共振を視ることが出来得るからです。戦時下たる世界と/60年代の混沌としたアメリカから産まれ出た音楽、と。

7,SLY AND THE FAMILY STONE『Stand!』(1969)

ファンクがロックとソウルの相好的な混種で在る事をなんとなくは把握していても、明らかに音として具像化したのは、ジェームス・ブラウンでもファンカデリックでもなく、彼らだったと言っても過言ではなく、ただその前夜の雰囲気が漂うウィットとポップネスに溢れたこのアルバムに宿る猛々しい熱量に今の「ポスト―」全体が何を転回してゆこうとしているのか、その峠の高さを思い知りも致します。

8,THE VELVET UNDER GROUND『White Light / White Heat』(1968)

ファーストの固定された評価振り、曲の良さではサードで、NO.NYへ繋がっていくような殺伐さとクールネスではこのセカンドが抜き出ていると感応します。ファーストではアート・ロックの域を抜けていないところも散見できるのですが、このアルバム内の「シスター・レイ」の17分では、プログレとかインプロといった閾を越えて、ロックの持つひんやりとしたニヒリズムが宿っています。地下室での不健康な実験成果の結実と過程。

9,THE WHO『My Generation』(1965)

「The Ox」のキース・ムーンの気ぜわしいドラミング、「The Kids Are Alright」のメロディーの流麗さとともに、ベスパ、フレッドペリー、ナロウタイ、ロスト・ウィークエンドの意味からモッズの意味を確認する接線として、ポケットに忍ばせておける気の置けない知己のような。

10,THE KINKS『SOMETHING ELSE』(1967)

「Waterloo Sunset」が入っているというだけで、いや、その他の佳曲も含めて、ボサノヴァとの共振含めて、実は当時のUKで一番、世界音楽へ目配せしていたのはレイ・ディヴィス始めとしたキンクスだったのかもしれない、という空気感が漂うアルバム。のちに、このアルバムからTHE JAMが「David Watts」をカバーするけれど、然もありなんかな、と。

The Doors

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