年末年始の10冊

新刊を読むこともありながらも、再読する書も多くなり、何らかの形で自身の観点の進路変更のための速度を確かめるような意味性を再訴するものに収斂したような気が致します。

V.E.フランクルの『夜と霧』で、「必要なのは生命の意味についての観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。」という箇所がありますが、受容性の中で生きることは存立していたとしても、意味はそこにはなく、意味としての生きることは寧ろ、人生側から期待されているのではないか、というパースペクティヴと言えますが、沈思黙考するには気忙しく、喧しい瀬に文字や知識はより輝いて見え、例えば、ヘルマン・ハインペルなどがもたらす「気付き」は今の年齢だからこそ、とも思えました。

過去から現代までの流れを<外>を編纂し直す歴史学という認識はバイアスが掛かっているのは自明でしょうが、意識内で固定された「今」、ハビトゥス含め、航続する「今」、ワンネスとしての「今」、そして、あなたと私、われわれが担う「今」の幾つかの今―という歴史をどのように拿捕した上で、歴史学の時間論を護るのかどうかという行為と連続性。新たな偽史は今もだからこそ、出来ていっているのでしょうし、あったかもしれないでしょう、歴史は<外>で編纂される訳ではないのかもしれず、照応尺度は確固たる何かなどないのだとも思います。

やつれ気味の未来と綱引く今、ラ・ロシュフコオ的なモラリストであろうとするほどに、マイノリティの轍を踏むことになるのでしょうか。

「われわれの美徳は、ほとんど常に、仮装した悪徳に過ぎない。」

戦乱と喪失でのサロンと筆。彼を想うことも増えたのは、自身の空虚感に、歌われない流行唄のようなものがシンクロしていたからという背景は否定できません。では、年の瀬に、再読可能な、または、名前だけは知っていても、という書を10冊ほど。

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1,ポール・ヴァレリーヴァレリー・セレクション(上)(下)』(平凡社ライブラリー

ヴァレリーといえば、批評と箴言に尽きるところはありますが、言葉の持つ強度を何度も確かめて使うその知的所作には唸らされることも多く、文章、言葉を味わえる贅沢さも備わっています。

2,シュテファン・ツヴァイク昨日の世界(1)(2)』(みすずライブラリー)

ナチズムが覆うヨーロッパを亡命し、アメリカから19世紀のヨーロッパへと想いを惜しむように自叙伝のように綴られてゆく様には、今の非て、似なる世に響きを新しくもたらせるような気がします。歴史は繰り返されるのでしょうか、そして、自由を希求することは艱難なものなのでしょうか、読み返すたびに重い問いが巡ります。

3,阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書

日本における、世論、世間についてはずっと考えることがあり、そうなりますと、この書のような社会論に帰着してしまうことがありました。

4,トーマス・マン『ブッテンブローク家の人々』(岩波文庫

彼の処女長編です。総ては原点に還るように、そのキャリアは形成されるというような手垢のついたフレーズがあるとして、それが多用されるとして、個人的に、トーマス・マンに関してその後の偉大な経歴、作品群を考えましても、この作品に還るような想いがあります。家、血筋、行き交う登場人物―どんな時代でも孕むエッセンスをペーソスで囲う筆致は色褪せないものがあります。

5,大竹文雄『経済学的思考のセンス』(中公新書

経済学そのものに向き合うには、数字や関数、多くのデータの束から理論や見解を見出す訳で、ただ、経済学的な思考というものは現代では必須になっているようとも思えます。

6,ブルーノ・シュルツブルーノ・シュルツ全集』(新潮社)

デカダンスとエロティシズムが渾沌と混ぜられ、多くのメタファーはどんどん位相をずらしてゆきます。こういう読むことそのもの快楽、集中力を求められる書も大切なのではないか、という気もします。

7,北大路魯山人魯山人味道』(中公文庫)

陶芸家や書家としての彼よりも、美食家としての彼を今や知っていることの方がもしかしたら、多いかもしれません。ただ、美食家としても、文字にした際にその風趣を残すのはどうでしょうか。「味」そのものが難しいのは幅広く共有されるものだからこそ、でもあります。そういう意味でいえば、小難しい薀蓄よりも、食そのものへの彼の凛たる姿勢がこの書では伺え、「食」という行ないに関して、考えさせてくれます。

8,『アレハンドロ・チャスキエルベルグ写真集』(ワールド・プレス)

アルゼンチン出身の気鋭の写真家です。名前は知らなくとも、おそらく、写真を見れば、その独特の寓話性と色、タッチに分かる方も居るかもしれません。絵は文字よりも情報量が膨大に詰められていますが、その情報量の膨大さにヴェールを掛けたような彼の写真は読むように、見れます。

9,アンリ・ベルクソン物質と記憶』(ちくま学芸文庫

ベルクソンの「生の哲学」に関して、以前よりも求められているような気もしますので、主著たるこの一冊を。ここから拡がった種子を拾ってみるのもいいとも思います。

10,カート・ヴォネガット『国のない男』(日本放送出版協会

彼の遺作。極北のニヒリズムや溢れ出る人間への憤怒、それをさらに越えた場所での人間への慈しみ。変わるものばかりでも、変わらないものは確かにあることを気付かせてくれます。

物質と記憶 (ちくま学芸文庫)

物質と記憶 (ちくま学芸文庫)