遠い、光

過ぎてみましたら、あっという間だという台詞に収斂し得ない日々で、今年はきっと自身の中でも刻まれる想いは尽きないという気もします。いつからか、私は命題を設定するようになり、もはや戦時中ですらない峻厳な認識に降りていきました。

戦時下では神経症者が減る、そんなイロニカルな事実を覆すように、知己の医者の病院は初診までに数ヶ月かかるとのことで、ならば、そういう構えでいないといけない、と近代病的な戦争不安神経症を持っていた自分を対象化し、「a」に置き換えるか、考えてはメモ、プロットを千切ってはときに、喪に服すように、微かな希望的な何かを辿るように、速度だけをあげていきました。

その速度にはATOMS FOR PEACEの『AMOK』を聴きながら。その作品の総体の軽やかさ、つまりはセッション後のナイジェルとトムの二次精製が功を奏してか、という側面から、リミックス、更に”Eraser Band”ではない形での来年のツアーでの演出などを巡らせてもいます。レディオヘッドがとてもテクニカルに或る意味で高度に、ポリリズミックなグルーヴを追求しているのとは比して、純然と踊ることが出来るのはこちらではないか、というのはバンド・メンバーを確認せずともですが、今や自由に踊ることさえ規制されている瀬で、踊る自由への規約状のような何かになれば、とも思います。

速度が早まるほどに、自身が捉える「体感時間」は緩やかになります。だからこそ、今年はとても永く、その永さを掌握仕切れないところもあります。

捧げられた花束、老朽化した優しさ、機構的な順列、ゴミ捨て場のぬいぐるみ、散種、鎮魂歌、盆踊りの宵、指間を縫うさよなら、プラスティックな紅葉、破片のような未来、音楽、鉄塔、悼み、穴の開いた羽根、熱気、書類、自棄、錆びついた自転車…絡み合いながらも、立体的に景色を結び合わせる頃に目が醒めたら、もう大人になってしまっていた、草臥れた感性を対応するのに精一杯になってしまっていた、そこでの「踊り場」としての2012年、多くの表象をしたような気もしますが、おそらく、それは自分のためではなく、新しい人たちのためのような―そういうレトリックには揶揄、中傷が重なるのでしょうが、存外、渡した片道切符で何処かへ行こうとしてくれた一回り以上下の方なども居たり、同世代でも、年配の方でも、交叉は感じました。

交叉は、いずれ黄砂混じる春に別離の痕、新しい季節に包み込まれるのかもしれませんが、ただ、「続く」のだとも思います。終わらない、で、続く―しかし、どこか、自分だけは大丈夫と想っていた世界が終わって、続くということ。誰もが当事者であらなければならず、誰かが当事者ですらない瀬。人為性で届く領域を超えた、恣意的なメカニズム。食料、水、エネルギー、文化、天災、紛争、安全、数え切れない、在ったと思われるものが稀少性を帯びてくるものの中で、何を憶えるのか、例えば、今年、産まれた多くの子供たちはどんな日々を生きてゆくのか、言葉を何から覚えてゆくのか、未来をどう信じるのか。先日の選挙の結果は心に疼痛をもたらせたのは、消極的選択の集体がそこに可視出来たから、という汎的道理ではなく、もっと深い切実な、無気力とアパシー。TVを消して、夜明けを待つには光は遠く。ないかな、ないよな、きっとね。

迫ってきました武道館での中村一義さんの15周年記念ライヴでは使い物にならなくなるような自分を既に感じても居ます。やはり、途中経過としても、苦味を含んだ上での忘年会での「ハレルヤ」は切なくならざるを得ないからです。私の涙も老います。