vivid chaos

兎に角、逃げないで「認知」してゆくことが結果的に自身を強くします。

不安を「不安」として認め、受け入れ、それに対して肩肘を張らないでいるように。例えば、パニック発作というものを持っている方が居るとします。満員電車で急に心臓の動悸が早まり、手足の発汗し、自分はもう死んでしまうのではないか、と慌てて駅で救急車を呼び、病院に着けば、ピークラインは過ぎている、というもの。現代で非常に多い心身的な病でありながら、同時に「他人」には分かってもらえない辛さ、発作の連続で回避行動、社会不安障害にまで繋がることがあります。つまり、あの電車に乗ったとき、あの場所に行ったとき、自分はそれが「起きた」という経験がその人の感覚を歪めてしまい、不安を避けるために、回避してしまったり、何らかのクッションを入れるなどすること。周囲でも居ましたが、やはり、何度も「不安」を受け容れてゆくことで、その発作と付き合えるようになっていった方は居たり、やはりまだ無理な状態、その他であったりします。

どうしても生きている限り、不安は付き纏います。それが悲観や絶望的な何かに行かずとも、形の違う、そして、個々それぞれの不安。但し、その不安によって生活が回るケースもあります。自分の、家族の、経済の、日本の、もっと目先の、毎日の。その不安が「予期不安」に姿を変え、今の認識を変えてしまうときに、あるがままで居るというのはやはり短期決戦ではなく、中期的な構えが必要になります。

この2年ほど、日本の息苦しさに中ってしまった人たちは少なくないでしょうし、だからといって、それぞれが生きてゆくという覚悟は日本に眠っている―とすれば、という条件付けで耐えてきたケースもあるかもしれません。耐える/堪えるという面では日本人特有の強度がありながらも、「投げてしまう」要素もいみじくも並存してきました。貧すれば鈍する―文化面ではなく、これは一生活面、内的心理面まで降りる大きな言葉ですが、生活保持、保身で停まらぬ何らかの他者性に向けた刃が公的な圏域で見受けられるようになってきました。

最近、いわゆる、名前の通った方々がTwitterを辞めていきます。それは、多面的な要因があると思うのですが、得るものよりも圧倒的に悪意の波が「名前が通っている」からこそ届けられてしまう、という倒錯があるからです。悪意は否定出来るものではなく、人間は誰しもを慈しみ、想い、生きてゆける訳は無論、ありません。ただ、黎明期のTwitterアーリーアダプターたち同士の熱心な遣り取り、環境、年齢、立場、職責、それらが違う形でトラフィック・アンド・リンクできたことはありました。その後も世界的に、日本的に大きな事柄が起きたときには有効なツールとして機能したこともあり、今も、アメリカの総選挙もSNSの使い方次第と言うジャーナリストもおり、そこにはFACEBOOKのみならず、Twitterも寄与してきます。

価値観の差異、言語圏の違う方、ディグニティ、想い、考え方がうねりながら、一気にTLに流れる―それは思えば、凄い時代になったのだと痛感します。著名な方から名も知れぬとも懸命に生きる知己までが同じように「目に入る」。とても、鮮やかな混沌とともに。

それでも今、鮮やかな混沌にどんな別名を付けることが出来るのか、過渡期、いや、飽和期に来ているのは確かです。評価から価値経済へ、そこから実利へ、自身の構えへ向かうとき、すぐに結果は出ずとも続けていく重要性を思います。