MOVIE

『風立ちぬ』―ロマンの鈍い意味

宮崎駿という作家としての業と、その商業的・芸術的評価の乖離はよく考える。例えば、ナウシカの原作の漫画を読んだときのマッドに振り切れた救いのなさ、それは手塚治虫が「ヒューマニズムの人」とある側面で称されようが、生命の極北とそもそも、虚無をあ…

『アルマジロ』

戦争に相義するのは平和なのか、そうではないような気がする。平和は「状態」であり、戦争は「状況」としたら、現代の戦争は何かしらのエビデンスが残るはずで、そのエビデンスは戦場から届く写真や映像、史実そのものであるとしたら、今、平和の状態維持を…

『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』―装置性を翻す一葉

明らかに、この三作辺りでの『ドラえもん』大長編は過去の焼き直しや、いわゆる、新生ドラえもんとしてやや迷走、停滞期にあったところから新機軸、新時代に向けての舵切りを静かに大胆に取っていると思う。声優の変化以外にも、アニメ的によりデフォルメさ…

勝手にしやがれ―À bout de souffle

今や有名な、1959年のゴダール初長編『勝手にしやがれ』ですが、主演は、ジャン・ポール・ベルモンドで、奔放なチンピラ役で、自動車泥棒を生業としています。そして、彼女を求めての、パリへの道中で警官に追いかけられ、あっさりと警官を一人殺してしまい…