HARCO『ゴマサバと夕顔と空芯菜』を巡って
2012年にノーベル経済学賞をマッチング・プログラムの作成、制度への応用などにおいて評価され、受賞したアルビン・ロスは「市場」という暗黙の前提に疑義を呈す。既に市場はそこにあって、決まった言語で話せば“いいようになっている”が、実のところ、特定された人たちの言語の強制力が幅を効かせ、市場とは付随していう傾向があるとのことで、市場で取引される言語は誰のものか、というと、ひどく絞られてしまうきらいがある。投資で食べている人が居て、よくニュースでピックされるものの、その人たちが関わる金融市場では凄まじい速度が優先されている。そして、“人たち”という間接句も不必要になっているくらいオート・プログラミングしておけるから、適切な判断をくだす時間の是非より、決裁の速度が誰よりも早いか、で原理が最適化されてしまう。規律が厳重に網目正しく張り巡らされるほどに、自分が望む取引手段が市場には見つからない、それは道理で、限定された言語で刈り取られた市場が帰一していこうとする全体性を見ても、スペックがずれる。
ならば、自身の選好としてこれくらいの条件を、というものをあてがってゆくと、徐々に同じような選好を持った人たちが似て非なる言語を持ち寄って、「その、見ていた市場とは違う市場あるよ。」となる。場、区域によっては不適合でも、場、区域によっては“何ら問題ない”のは自明の理として、新たに勃興し続ける力は絶対性を帯びる訳ではなく、こうしないといけない、みたいなセオリーとは逆進性を帯びるくらいにヒトの歩幅とは緩やかな自由さがあるくらいに。
《南極大陸で 明日から暮らします
何もかも置いてきて 荷物はゼロです》
(「南極大陸」)
南極大陸で―明日から―暮らすこと、は実質、ほぼ不可能に近い。それでも、意識の変性の中ではとても容易に適う。HARCOというアーティストは過去から、ファンタジーと現実の間合いの中をポップに泳いできた。幾つものCMソングやその中でも「世界でいちばん頑張っている君に」という衒いのない大きな歌を知っている人や、NHKのみんなのうたの声で馴染んでいる人は多いと思うが、キャリアを鑑みると、寧ろ、トッド・ラングレン、ブライアン・ウィルソンのような少しマッドなサウンド・クリエイター、職人としての側面が強く、同時に、多彩で怜悧なセンスは昨今のシティ・ポップの中の先達的な存在ともいえる。ただ、その器用貧乏ともいえる活動内容そのものをして、彼の評価をうまく巷間に伝わっていなかったのかもしれない。個人的に、2004年『Etholgy』からのミニ・アルバム三部作における彼固有のカオティックなサウンド・センスの開花の軌跡には特に昂揚したが、その後も、HARQUAでの活動、09年の『tobiuo piano』におけるピアノを軸にした果敢な試み、東日本大震災を受けたチャリティー・ソングの「がれきのれきし」も他のチャリティー・ソングとはまた違った(作詞は違うものの)彼の感覚が垣間見えるものとして、興味深く追っていた。
そして、サントラや色んな作品のリリースはあったので、そんな間隔を感じなかったものの、どこか漂然と、身軽な佇まいを持った、しかし、実に五年振りとなるオリジナル・フル・アルバム『ゴマサバと夕顔と空芯菜』がとても良く、2015年にこういった温度の作品をリリースできるアティチュードに持ち上げられもする。冒頭からのアルビン・ロスの話に依拠すると、同じ人が同じ風景を観続ける以外に、こういったデザインをしてみた風景もあるよ、と示しているかのようで、堀込奉行、杉瀬陽子、あがた森魚といったゲスト参加も功を奏して、柔らかく、暖かく、どこかとぼけたような雰囲気が漂っている。故・大滝詠一氏が極上のポップスから音頭までを跨いだ轍を追うように、エレファント6界隈を思わせる音からカート・ベッチャー系譜のソフト・ポップ、インタビューでも名を出していたノルウェーのソンドレ・ラルケに通じるサウンドメイクから、と、11篇の良質な短編小説集みたく、じんわり聴後に残る。
1曲目にしてタイトル曲「ゴマサバと夕顔と空芯菜」のMVはどこかオリエンタルな曲調と合わせてか、ラオスのビエンチャン、ルアンパバーンでの何気ないショットが繋がれており、遺産、市場の人たち、河、映える緑、雄大な自然、夕日、書店、街の中から無声の生命力が聞こえてくる。
《夏のゴマサバに 空芯菜をのせたら 夕顔咲いた》
そのまま、清冽なギターの音色が美しいポップ・ソング「カメラは嘘をつかない」は一転、切なく叙情的な横顔を映す。この2曲みたく、アルバムの中でも“緊張と緩和”とは平易な表現になるが、シリアス過ぎない、牧歌的過ぎない場を往来する。そもそも、今や誰でも眼前を写真に簡易におさめたあとに、瞬間的に加工できる瀬で、リアルとは何かという問い自体が渋滞する。膨大な写真共有サイトにあげられた痕跡は決してフェイクじゃなく、幾ら加工されていたとしても、何らかの瞬間、息吹は切り取っている。一日中、憂鬱なことばかり考えて過ぎるばかりではなく、昼に食べたパスタの味で重たい気分が不意に霧消もしたりする。行きつ戻りつ、すこしずつ時間は感情の機微とともに流れるように。
絵本を捲るような楽しいインストゥルメンタル「TIP KHAO」や、優美な「星に耳を澄ませば」という曲には、彼の子供の笑い声が入っていたり、気骨とウィットに富んだ「I don’t like」など聴きどころは尽きないが、ベースには規定、特定化される市場とは違う導線での情景の束を還す要所に効いた小技と、相比する、伸びやかなはみ出し方があり、そこにとても安心もする。
- アーティスト: HARCO
- 出版社/メーカー: P.S.C.
- 発売日: 2015/04/22
- メディア: CD
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