贈られた価値をどう置き換えるか

GIFTという言葉には幾つもの意味が反映されます。日本語訳しますと、そのまま、贈り物、それは有償的なものもあれば、「ほんの気持ちで。」という手紙のような無償、内面性に依拠するものもあり、GATE(Gifted and Talented Education)のようにレベル策定をして、アファーマティブ・プログラムとして機能するケースもあります。例えば、経済学の観点からしますと、「贈り物」というのはどうにも対象として扱いづらいものです。Aという人にとってはダイヤモンドの指輪が100万円以上の現物価値ではなく、満足度の高さを持ち、Bという人にとっては花束が計測化できない価値を持ち、という抽象的なものを帯びるからで、ならば、最初から「現金」を渡してこれで市場の中で集中と選択をして、自分にとって最善のものを、というのがわかりやすいですが、それでも、あらゆる誰かの何かの記念日、節目に「現金」で成立しないのがGIFTの難しさです。「彼は前々からノンフライヤー、欲しがっていたから、今度はそれにするか。」というのはその方との距離感で判断できますが、距離感の見え難い方に関しては、贈り物は“カタログ・ギフト”みたいなものが良かったりもします。

アルゴリズムを逸れて、エラーも)

昨今、キュレーティング・サイト、またはキューレーターのコーディネイトによりますセレクト・ショップは増えています。「よくわかっている」人がお薦めをするというもの。専門家が導線を敷くときに、しかし、そこには選択肢は受容者側の細かい意見、嗜好を汲み取り、その上で価値呈示しないといけないはずで、齟齬が生まれていることも散見致します。今、話題になっています北海道砂川市のいわた書店のニュースは知っている人も多いでしょうか。簡単なアンケートに答えてもらった上で、1万円選書としてその店の方がその人に合う“だろう”本を1万円分、選別し、贈るというもの。評判経済としてはまっすぐな選書になっていないところも良いみたいで、どんなサイトでも「こんな嗜好の人はこんなものも同時に買っています」のいつも先回りされた気分になりながらも、最近では、こういったものを連続して選び、買えば、必ずこれが出てくるのだな、というアルゴリズムを考える方が個人的に興味深くなってもいます。これを知っているのならば、当然、これも―という短絡的な話ではなく、これを、これも、以外にそこに変化球としての拡がりをもたらせるものを含ませておくこと、1万円選書の良さも安心して読める本に、思わぬ考えさせられる本が入っていたりしますと、更に、基本の嗜好から視界が広がり、新たな地平に立つことができる場合もあるだろうからです。

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まず、ひとつを突き詰めること、一人の作家を読み尽くすことも大きな価値です。では、そこから同じ内容を何度も繰り返し嚥下しますと、自身の中で担保としての安心は崩れないでしょう。“以前、知った内容”が“そこ”に在る訳ですから。しかしながら、人間とは「慣れ」を堅守する傾向と同時に、横道に逸れていきたいという逸脱欲求も併存、内在化します場合も少なくありません。

無論、ネクタイをしめて、電車に揺られて、今日一日の仕事を終えて、家に帰って、もう十分ではないか、という声に否定すべき点はありません。ただ、保険会社のCMでじわじわと歳を重ねてゆく会社員らしき男性を家族が迎えるみたいな書割を見ますと、引っ掛かる何かもおぼえてしまいます。保険は現状の多くの不安を制御するためのものですが、多くの不安を乗り越えて、定年まで働き終えた人へ向けて更に「老後」をセーブするための保険の提案も増えています。健康、今、将来への金銭的な不安、家族を巡る問題など幾つも数え上げれば、誰しも不安により駆り立てられる何かがあると思います。更に、峻厳になっていきます社会時世に対しての不安も。保険は満期になりますと、”贈り物として”お金が帰ってきます。それまでの掛金を考えますと、意味深いですが。

贈り物は簡単に送られない)

経済学者のマンキューは「贈り物」をシグナリング効果の一形態と説明しています。市場の非対称性を越えて、市場利用をすることを通じての方法論としての贈り物。それは金銭譲受だけで成立し得ず、寧ろ効率的な効用の最大化に準じました贈り物ばかりが、贈り物ではないということ。

キューレーターからの贈り物を別の包装の仕方をして、どこかの誰かに贈るというのもいいと思います。しかし、簡単に受け取れる贈り物とは簡単に送られないイロニーも踏まえた上で、対象との距離への知見をどう捉えるか、も価値の贈与前提条件としてあるからです。