simple thinking about Thomas Piketty『CAPITAL』

Capital in the Twenty-First Century

Capital in the Twenty-First Century

今年をある種、象徴した本だろうと思う。アメリカのデモ、香港のデモでもこの書を持っている人が映っていたりもした。刊行されてから、700ページものこの手の専門書がアメリカを中心に世界中で異例の規模で受け入れられ、ジョセフ・スティグリッツロバート・ソローポール・クルーグマンといった名だたるエコノミストからの言葉が寄せられたのみならず、専門外の場でも話題になった。ピケティ自身は“不平等”の研究を推し進めた理由として、経済学からはそういった不平等の問題は歴的学的過ぎ、歴史学の観点からはあまり経済学的でやる人がいなかったから、と言っている。

書内の指摘の中で、大切なのはまず、資本収益率は経済成長率を上回っているということ。株式、不動産投資などで得られる利益成長率は、実質的に労働によって得られる賃金上昇率を上回り、それを世界20か国以上の税務統計を過去200年のスパンで遡及し、収集したことで、感覚論ではない「実証」を示したのは意味深かった。格差と経済成功の面では、クズネッツの逆U字型仮説はよく援用されるが、先進諸国で該当しないケースが増えていたのも道理で、やはり所得の不平等度が低下している訳ではなく、上位数パーセントの富裕層が国全体の富をほぼ握っている中で、いわゆる、中間層の持ち崩れ、消滅はアメリカのみならず、日本にも起こりつつあるという見方もある。

国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口によれば、65歳以上の人口がピークを迎えるのは2042年頃と試算されている。あと、30年弱は“極端な”少子高齢化の瀬が続く中、そこで、何より問題になってくるのは現役勤労世代への応分負担の強化だろう。医療費の自己負担額の見直し、各種手当、税額控除の廃止、社会保険料の増加などは年収1,000万円前後の中間層にシフトが置かれ始めてもいる。

また、バルザックの小説『ゴリオ爺さん』の若き法学生が裁判官、弁護士、検事になってバリバリ働いてゆくか、銀行家の娘と結婚するかだとどちらがより早く富に近づけるか、と考えたことへのデータ実証を行ない、後者が正しいとしている。日本でも、来年1月からの法改正を巡って、「相続」の意味が再び大きな意味を増している。規模にもよるが、事業承継だけではなく、資産承継によって詰められてゆく層はさらに厚くもなっている。富める者はより富みという簡易なコンテキストではなく、一旦、保持された富は“再”分配されずに不透明化されるという意味も含むのもあるだろうし、タックスヘイブンが近年、改めて注視されるのもわからないでもないと思う。無論、彼の主張する不平等是正には、資産への累進課税、資産の集中を防ぐという論は実効性よりは抽象的なところがあり、国単位ではなく、グローバリズムの中で国の間の調整と往来がややこしくなっている中ではまだ、これからより具体的な俎上で問われてゆく気もする。