奈良のジャンゴ・レコードを巡っての雑考

奈良のジャンゴ・レコードを巡った記事が話題になっているようです。

【コラム】
県外就業率1位の『ベッドタウン奈良県にあるレコード店django

http://ki-ft.com/column/nara-django-records/

今のレコード業界並びに、奈良という独特な地域での変容の中でのレコード・ショップの在り方について考察を重ねた労作です。

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私にとりましては、ジャンゴ・レコードの松田店長はTwitterやバーチャルで気軽にやり取りするには畏れ多いような、敷居の高い方の一人でした。以前に、このブログの2013年初頭に25周年を言祝ぐ意味でも書きました拙文を下に、自己引用・改変しつつ、進行形の想いを。


近鉄奈良駅を降りて、奈良公園の方に出ず、ひがしむき商店街を歩き、大きな三条通りを跨ぎ、正月などによく特集されますお餅つきの早い中谷堂のすぐ隣のもちいどのセンター街を少し歩けば、小さな看板「Django Records」というものが出ています。

開店から25年を越えました、いわゆる、街のCD、レコード・ショップです。現今、音楽産業や音楽媒体を巡る急変もあり、「実物」を扱い、また、店特有のカラーを出すところは無くなっていっております。背景には、経済的状況も大きく、また、通販、配信文化、都市に固まる大型店舗でチェックする選好性、幾つもの要素が絡み合っています。

WIREDでは

【いまだに全音楽の85%がCDで購入される、不思議な日本】
http://wired.jp/2014/09/22/japan-loves-cds/


という記事がありますが、内容を精査して戴ければわかりますように、あくまでメトロポリタン的な価値観です。ということは、都市求心性だけではなく、ビット空間で行き交うフィジカルな何かも在り得るのを「コレクト」するのが合う風土でもあるかもしれません。収集のコレクトか、別義のコレクトかは問わずとも、収集に断捨離が鬩ぎ合う瀬です。そこにメトロポリタニズムが合わされば、隔離されますのは地方都市の残骸とも換喩できます。

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もう自身が知っていましたような奈良は分かりません。デートで行きました映画館もVIVREも、何もかもなくなり、里帰りがてら商店街を歩きました折、昔ながらの土産店はありながらも、まったくわからない古着屋、雑貨店が軒を連ね、変わっています。”ならまち”もお洒落に特集されていますが、夜の帳がおりるのは極端にはやく、それでいて宿泊場所に難渋します。

近鉄奈良駅から一駅のビジネス街とも言えないでもありません、新大宮駅近くのスーパーホテルからは日本人はもちろん、アジア系の若い方たちがぞろぞろ出てきますのをときに見ます。同時に彼らがほぼ奈良方面には向かわず、京都、難波方面に向かい、冒頭の白原さんの記事の指摘としての一部は当てはまります。

常連客と言われていた人たちも仕事や家庭の関係で、そういった磁場から離れることもあるでしょうし、定期的に同じ収益を保つことができるサイクルが描きにくいものだけに、「音楽が好き」という理由では続けていけない状況は全国にもあちこちにあるのでしょう、老舗レコード・ショップの沈み方は火を見るよりも明らかです。かつては、犇めいていた中古レコード・ショップを有し、電気街としての存在を放っていました大阪の日本橋にしても、(見るも無残に、といいきれないのは、それが市場の要請でもあるからです。例えば、誰も”ダイエー”の看板がなくなるのは是非論でとらえられないでしょう。)良くも悪くも変わってしまいました。

その時代に応じたその様式が流行るのがトレンド、流行と言うに致しましても、温故知新、人と人が向き合い、その対話の交換の中で新しい何かに気付く、それが有人店舗の醍醐味です。

私が1994年に高校に入ったとき、当時はWAVE(輸入盤)文化、J-POP、小室系、経済的に「失われた10年」になってゆく中でも景気はハイ・ヴォルテージを保持し、CD、ヴァイナルが多くの人に届いた時代であり、音楽によってセンスが鍛えられるくらいの風潮があったのを懐かしく想い出します。高校生の私には、CDアルバムで国内盤で3,000円という価格設定と懐具合はトレードオフにあったのですが、とにかく、色鮮やかなジャケットを観て、店内に流れている音楽を聴き、ときにご厚意で気になっていたCDの音源も試聴させていただいたりで、カラフルで勉強や部活動、そういったものの間に音楽が入ることで随分と視野が変わりました。当時、Django Recordsは、近鉄奈良駅のひがしむき商店街ではない逆側、さくら通り(現・小西さくら通り)商店街のすぐ入った町屋にありました。



いつも多くの人で賑わっており、同時にWAVEの袋を持った人たちも居たものでした。イタリア映画のサウンドトラック、渋谷系と呼ばれたシーンを軸にしたスタイリッシュな品揃え、ラウンジ・ミュージック、ギターポップからMPB、ヴァイナルの豊富さ、奈良の片田舎から煌びやかな世界にイメージだけでも届くような気になったものでした。しっかりお金を落とせる良い客では私はありませんでしたが、そのお店で手に入れましたCDやヴァイナルは一生、残るものは少なくなく、のちに或る程度、経済的与件に困らなくなったとき、そのDjango Recordsのチョイス、手書きのポップ、松田店長との対話を経て、多くの視野の広さを手に入れることになりつつも、あるときはこういうことにも関わらせて戴くこともありました。あくまで、自身は端役としまして。

【Record Shop Django×工藤鴎芽『Mondo』〜奈良にて】- COOKIE SCENEhttp://cookiescene.jp/2011/08/record-shop-djangomondo.php

奈良という場所は観光資源としては素晴らしい場所かもしれませんが、近くの京都と同じく、どんどんと知っていた景色は変わってゆき、ノスタルジアとレタルギアの中での記憶を噛み締める、そういう行為も増えましたが、居る人が居る、あるものがある、そういった嬉しさはずっと変わらないものです。CDやレコードを手に取れば、その時の自分が想い出せるように静けさを増しています。

ジャンゴ・レコードの松田店長の眼光は鋭く、饒舌でしかも、即座のジャッジメントが厳しい方です。要は「職人肌」であるがゆえに繊細で、繊細であるがゆえに気骨が揺るがない、それは高校生の頃に初めて訪れて、まるで奈良内のカラフルな音楽がそこに集まっているのではないか、という意識を補強してくれました。

大きな昔話も逸話もある店ですが、そういったことより別に、私は今、潜在知の重みを強く感じます。その方、個人の持っておられる体験知、経験値、センスは誰もがパスティーシュできません。当たり前に、アーカイヴ化もGoogleでもWikipediaでもわかりません。

奇縁で、松田店長とユメオチというバンドを大阪で一緒に観たことがありました。

当時のジャンゴではユメオチ、工藤鴎芽さんは独特の売れ方をしており、さらにSo Nice、そして、sayoko-daisyさんも入り、不思議な磁場が形成されてくる訳ですが、私は若かりし頃から「金払いの良い客」ではなかったのに、試聴をよくしていました。それは特に、町屋時代のことです。詰襟の自身を傍目に回転してゆくお客さんの数、流れているBGMからめまぐるしくも美しい季節でした。

自身が久しく行けていないお店ですし、長年の尽力を祀るよりも、今の状況を松田店長がよく耐えておられるのを鑑みますと、私としては今一度、実際に足を運び、話をし、色んなニュアンスを汲み取る中で考えたいことは尽きません。新しい、のではなく、今、あらためて気付いた音楽の素晴らしさに導路ができる可能性があるだけでも捨てたものじゃないということ。寄り道は楽しくて、でも、寄り道の途中のお店は何度も通うことで少しずつ話せる言葉が増えていくのかもしれないこと―