after the information rush(for 9.11)

2001年9月11日は、大学の休暇の時期で資格の勉強などでキャンパスや図書館へ行ったりしていましたが、比較的、時間があり、穏やかに過ごしていて、00年を経て漸進的に反・グローバリゼーションの流れ、と、電子化の奔流が始まりつつも、まだまだ前夜のこと。

今みたいに、「すぐ、何かを知り、拡散、共有できる」−それも全世界同時的に、というではなく、アメリカの朝に起こりました例の事件を直接、映像で知りましたのは確か、日本の夜の報道番組で急にそれまでのプログラムに切り替え、スイッチングが入り、その後から何度も“その映像”が数えきれないほどリピートされ、幾つもの言説が行き交うようになりました。

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更に研究がすすんでいますが、ベーシックには、人間が五感で外からの情報量を受け取る場合、圧倒的に大きいのはやはり、視覚です。聴覚はその次で、但し、情報量摂取の閾値としては離れていると言わざるを得ません。また、よく目隠しして味比べなどしますが、相当な割合で外れます。それは嗅覚、触覚の敏感さよりも、基本、視覚的にイメージをおぼえ、そこから膨らませているものもあるからです。だから、味覚だけを頼りに五感を巻き戻すというのはかなり難しい要素を含みます。勿論、ある一定の感覚で「認知」する人たちも多くいます。目が元々、悪くて、鋭敏なまでに聴覚や触覚が発展している人のみならず、防衛機制もあるのかもしれません。

とはいえど、昨今の映像の過剰なリピーティングはじわじわと確実に残り、ふと、戻ります。そうなりますと、“subliminal”的な何かを想慮する層が出てきますが、フィルタリング効果も今は大きく、簡単なものでもありません。しかし、あまりの大規模災害や人為的に残酷さや恐怖を募らせる映像はメディアだけではなく、一定規制されていますが、子供でもキーボードを打てば、または音声で「そのこと」をネットなりタブレットに言えば、とめどなく出てきます。

13年前の“あの映像のあと”(後々に現地には行くことが出来なかったのもありますので敢えてこう記します)、しばらく自分は遠国−今では、どこも遠国という実感はなくなりましたが―のことで深甚に考え込むことが増えました。立体的に、複合的な現実が地表化してきて、善・悪の二軸が出来上がったころに、完全善/悪の二軸には人為的な傲慢さと政治的駆け引きと、平易に二分化できない溝に落ちてみたりもしました。

まだ何も癒えないままで目の前に続く世界がありますが、過ぎたらアーカイヴされるものはごく僅かでもあります。その為にはもっと識っていくべきことは即座のレスポンスではなく、「Time is now」ならば、「Now was future」かもしれません。反語要請として、全員が同じ過去を生きているとしましたら、この瞬間の今は、きっと先に砂時計の砂も落ちてゆくとも思います。