006 『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』(増田寛也:著、中公新書 2014年)

「地方創生」、付随してIターンといった地方を巡る言葉は行き交い、議論は活発に行われている。安全な地方都市(つまり、医療、介護、商業施設、不動産価格、仕事の量など)までがランキングされていたりする。大都市への一極集中化の反動ではなく、少子高齢化、国土政策、天災があってからは地政学的リスクまでが問われる瀬で、どこまでが安全といえるのか、懐疑的にもなる。

実に896もの自治体が人口減で消滅可能性があるという今、そこに居る人が高齢化し、定住する人が減れば、「消滅」するのは容易で、田舎は落ち着くというだけではない、税収の問題から過去に自治体が行なってきた投資的な政策の失敗、更には一定数の雇用が見込める産業と子育て、住居へのサルベージが行なわれないと、帰ってきても、なにも保証がない。反面、元々は別業種をやっていて、地域振興課などに属し、多くの企画を打ち、企業や外から来る人からお金を集め、経済を活性化させながらも、道の駅や名産を用い、その街の魅力を打ち出してゆくという人にフォーカスもあたりもしている。それでもまだ、巷間にアピールできる契機としては「ゆるキャラ」のようなものだけが粗製濫造されてしまう。「ゆるキャラ」からそれに絡めた観光資源を活かした施策はある意味でとても予算からBCPを組みやすい。都度、作り替えをしていける側面もあれば、たまたま、くまモンふなっしーのように当たれば、初期投資から考えると、大きい。

無論、元来の慣習で守られてきた街を急に変えるのは難しい。この書の「消滅可能性」の自治体へのデータ分析を若年女性(20−39歳)、人口減少率(10年→40年)で見ている。そこで、5割を越える推計だと消滅の可能性がある、となる。2040年、今から26年後のこと、遠いように思えて、26年前を振り返ると、とても近いように感じる。「そこまでは生きないよ。」というのは、誰にも言えない。

東京に集まり続ける状況には、生活維持のための導路だけではなく、疲弊した自治体の施策のインバランスから逃れる人が近隣自治体に移るのではなく、中心部に行く/行かざるを得ないという背景もある。人口が減少するということは、端的に、子供のために未来を描けるのか、自分たちがまず今何らかの安心を持って生活できているのか、という社会保障環境に何よりも準拠する。