Summer Think,

インドネシアの新しい大統領にジャコ・ウィドド氏が決まった。スハルト独裁政権下からユドヨノ、「民主化」の動きの中での彼の存在が再定義されたというのは興味深くもあるが、個人的に中国離れからタイ、インドネシア、フィリピン、特にインドネシアの人口と労働生産者のマス、経済発展には世界中から多くの視点が注がれているのは確かなものの、世界中の“春”が近年、吹き荒れたが、軍事政権や独裁政権から民意の舵取りへ移るときに問題になってくるのは訴求力のみならず、実行力も出てくる。

要は、PDCAサイクルに対してよりマクロ大に“政治的効果”として通すことができるかどうか。議会や党派でのパワーバランスもあるだろうし、想えば、アメリカのオバマ大統領の威光がいつの間にかぼやけていったのは一概にオバマケアだけに準拠しないのは道理で、運動家と統治家の立場の難しさは尽きない。学者と政治家が談議をして、学者がこてんぱんに、打ちのめされる、そんなプログラムはあるが、それは、学者は「言い切れない」領域の中で研究を進めたり、思考を詰めている、その文脈の間に「決め打ってゆく」饒舌な政治家は華やかに見える。

話がそれたが、今回のインドネシアの大統領選後、インフラの整備、1万3,500を超える島、多種多様な民族、教育制度、既存医療制度への梃入れ、地方と中央における情報の非対称性をどう均すか、労働分与まで山ほどある。ジャワ島の中心部に行けば、凄まじい渋滞があり、排気ガスと熱気越しに建設途中の新しいビルや綺麗なホテル、ショッピング・モールもできてきた。和食も人気で、ヘルシーな食事も増えた。

そんなインドネシアの情勢についてあれこれ考えながら、次から次へとニュースが飛び込んできて、自分の感性が追い付きにくいところがあり、アルゼンチンのデフォルトのこと、ウクライナのこと、経済面だけでなく、世界を巡って、病気や事件、事故がなだれるように起きている。ガザ地区で泣きわめく亡くなった子供を抱えた母親の写真、エボラ出血熱野戦病院になっている様子…今日で、8月になって日本は蝉の声がさんざめき、朝顔、ラジオ体操の音、西瓜、小学生のサッカー大会、かき氷、プール、浴衣、花火などの風物詩が眼前によぎっていきもする。まるで、遠い記憶のように。