not too late

“ターミナル期”にある人の心理プロセスは、よく一般書でも紹介されている。例えば、末期がんを告知されたら、否認する。自分にそんなことが起きるはずはない。これは病気に関わらず、想像を超える事象が突然、迫ると、受け入れることはまずできない。夢じゃないのか、そうじゃないとしても、受容できない。

そして、悲しみもありながらも、憤怒にいく。なぜ、自分だけがこんな目に、のような。じわじわと、憤怒とともに、その「有限期間」を延長できないか、医者、周囲や環境と交渉しだす。足掻く訳ではなく、最良の何かはないのか。「何か」の限界にぶつかれば、落ち込む。

落ち込み、諦念に近い想いを行き交う。そこから整備されてゆく。言葉にすれば簡単だが、このステージの途中内での各人の葛藤の幅は他人でははかりしれず、緩やかに「受容」にゆける前で、自暴自棄になってしまう人も多い。それでも、生きないといけない。「いけない」という言葉が違うにしても、在るものが「在る」とき、その瞬間にしかそれはない。在らなくなったあとに、いくら言葉を、花束を、想いを捧げても、「ない」。「在る」の対義は「無」か、いや、違うと思う。「在らなくなったこと」だと思う。「在らなくなったこと」≒「無」としたら、「無」は完全なる“それ”なのか―そういう問いを投げかける間にも、つまり、テーブルの食器は片付けられる。次の顧客が待っているからだ。

優雅に晩餐をしていられる時代は、過ぎたのかもしれない。シエスタを取っている間に証券取引所は混乱ばかりしているのかもしれない。病院で呼ばれる番号はその日内じゃないかもしれない。時間どおり、飛行機は飛ばず、それでも、無人旅客機は空を泳ぐのかもしれない。大きな波紋が世に落ちて拡がるとき、誤魔化すように小さなフェイクが生まれる。自分にとっての前提のささやかな現実や幸福を守っていこうとして、小さなニュースに反応しているときに、とても大きなシステムが変わっていっているもので、この十年間、数年間で美しく進歩した景色と、どうにもそうじゃない部分が分離したような気がする。そんなことを言えば、「もっと適当に。」なんて肩を叩かれる。しかし、“適当”にしてきたツケの幾つかが膨大な負債を先に持ち越そうとしているのも確かだ。

― 青信号の横断歩道をゆっくり歩く老齢者にクラクションを鳴らす車、共働きなどの理由で誰も来られない運動会での教室での弁当風景、建設予定の葬儀場、いつの間にかなくなっていた居酒屋、定食屋、整備されていないボロボロの道路、不意の大雨、すれ違ってもう二度と会うことはない人の波、老いる自身の感情に鏡面が反響して、目の下の隈に疲れを刻む。

この前、久し振りに大阪は難波の老舗の食事処へ行った。田楽が美味しいお店で、その近くの安くて便利なバーは場所が変わってしまって、不便になってしまった。その食事処は値段が書いていないが、そんなに「敷居の高い」わけではなく、大体、適度に飲んで食べて、三千円くらいで、おかみさんたちの威勢が良く、愛想がいい昔ながらの店。そういう場所に行くと、サラリーマンの方たちの愚痴があり、笑いがあり、憂さ晴らしの空気が相変わらずあり、年金で生活している方のための憩いを労う優しさがあったりして、どこか安心する。BGMはそういった人たちの談笑とカウンター越しの対話で過ぎる。硬軟強弱の話が夜に溶けてゆく、こういったことは自分の生まれる前からずっとずっと繰り返されてきたことなのだろう。一人で、ぼんやりと田楽や煮物をアテに、軽く呑んで、外へ出たら随分と空気が冷え込んでいた。

世の中が“ターミナル期”にあるとして、自分はじわじわと対峙してゆく現実への構えを考えている。

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悪い夢見てるぜ