5月病を抜けて、

ベトナムやタイの件もあったものの、過重で根を詰めざるを得ない事柄に少々、エネルギーを取られている間に、朝起きるのがつらくなった。軽い抑うつ状態のまま、最低限のことに対峙しつつ、這いつくばるように、1日1日をおくることで、5月が過ぎた。生きることは不条理が付き物で、合理的にいくことの方が少ない。

あの時、こういう判断をしていれば、今、これを成し遂げていたら、いろんな“たら・れば”、はやはり「そう」しかならなかった証左であって、行動心理と経済合理性の間を埋めるのは理論家の役目じゃなく、もっと、抽象的に本人の問題や環境遠因に依るのだと思う。

2040年の消滅都市のこと、アジア新興国への理解への幅、具体的に表出してきた食糧の状況−全部、他所事ではなく、自身へ、自身が去ったあとの先の世代へとつながってゆく。この数年で、自分の価値観はじわじわと変わっていった。世界は狭くて、どうしようもなく、広すぎること。天災、人災、紛争、各地で起きて、巻き込まれた知己も居て、哀悼の意を捧げにも行った。

人との出会いが増える分だけ、悲しみが増える。それは仕方ないにしても、出会いを怖がる自分も出てきた。しかし、出会いは増えてゆけば、感性は拡がり、刺激を受ける。一時の出会いとしても、その場の空気、言葉、呼吸、いろんなものがフラッシュバックする。辛苦と憂鬱を抱えたままで、それでも前を向いて生きようとしている人たちの声に背中を押されたり、思わぬところで自己存在の確認を遠くの国の方からさせて戴くこともあった。

無理はしないようにしたが、年齢的に相応にセーヴしないと「次の日にも堪えてしまう」。だから、手抜きをするのではなく、いい加減な要素を好い加減に保ってゆく術を適度に得てゆく過程で、花や動物、アルパカに自然と魅かれていった。まだ行っていない国、場所にどんどん意識が向くようになった。だから、これから、30代を折り返しての日々はきっとその好奇心との鬩ぎ合いにもなってゆくのだと思う。