breakthrough Guild

日本における高等教育は内部瓦解を起こしていると言われる。

過去、エール大学文学部教授だったが、執筆活動に一意専心すべく学界を去ったウィリアム・デレズビッツの論文「エリート教育の弊害」では「大学は知性を磨くためにあるのであって、キャリアを磨くためにあるのではない。」と端的に記し、現今の大学教授への評価は概ね、学術研究と論文出版の実績によってほぼ決まるとしているが、そのとおりで、ただし、そうではない門外漢たる有名人などがスライド・インする場合はそこに文化貢献度や過去の経歴も換算もされ得る。

補足として、「教授」という名称は常勤を是とされる職位であり、特任教授とは、大学の規程ですでに定年に達した年齢の人を教授として採用する場合に使い、客員教授になれば、フルタイムではない勤務形態になる。上記の有名人の場合は「講師」という待遇では非礼にあたるという慣例でこういう形式を取る。客員教授の資格に達しない人の場合、「客員准教授」という職階を使える訳でも、「准教授」では先方に失礼になるなどで、「特命教授」という肩書きもある。

つまりは、客員や非常勤以外しか正資格を持たなく、一度、その職位に就けば、よほどのことがないと、終身在職できる。ゆえに、ポストの奪い合いが激しくなり、なぜに博士号を持った人たちが職に就けないのかという問題の根幹につながる。大学は双方向型を目指しているといい、オンラインや通信教育でのプログラム充実も為され、設備も綺麗になっている。

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大学にリストランテがあって、夜はワインが飲めるなんて凄い時代になったと思う。更には、入学式には親類縁者が集まるために、別会場でビューイングして、お土産を渡したりする。少子高齢化だけでなく、教育投資された子たちが相応に「名の通った大学」に入ったこと自体が価値にもなっている。入口が線引きになっているという意味では、日本はそう変わっていない。しかし、今、学生サイドの大学の経済価値とは「資格養成学校」、「職業訓練校」よりも低い意識を持つ場合も多くなっているものの、「これだけの学費を払っているのだから、相応の教育を。」というのは正しいのだが、大学という機関にそういった権利主張は別枠になる。
むろん、教育者の問題もある。味気ない単位取得のためだけの講義の1時間半を味わったことある人ならば、不毛なる時間を返却してほしいと思うかもしれない。かといえども、“奇を衒う”講義はリスクを孕む。講義とはWIN-WINという経済合理を入れる場所ではないからで、それでも、工夫は講義者には要る。講義評価が低位移行すれば、勧告は受ける。勧告を受けても、そのまま居座り続けられるのも是で、アカデミズムに残る人というのは反転して、外側での導路を考えていなかったりもする。

そうなると、この界隈は不毛だ、と思えば、幾人でシンクタンクを作ったり、民間の研究所など高給で尚且つ市場還元が大きいところへ移る潮流も表面化している。大学の給与は、国公立などは薄給と言ってもいい。しかも、副業はできない。社会的権威があるのかとなれば、もう然程ない。さらに、コメントやらを求められても、対効果は低い。「知識」はタダだと思っている節があるからで、インセンティヴが教員サイドも落ちていけば、高費用と長い期間の自己投資を経て、大学に入ってきた側も大学に「期待」はしない。

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日本は新卒雇用のシステムはベーシックに変わりはないので、3年生の終わり頃から就職活動を始める。雇用サイドもSNSや色んな方策で選別する。気ままに就職活動をできる時代ではなく、何十社受けて、就職浪人して、リトライする人もいれば、縁故的に入る人もいれば、そのまま、大学を出てしまわざるを得ない人もいる。社会市場に出れば、どんな組織、職種だろうが、人とのつながりや細かい規則と、競争がある。「一流企業に入っても、世の中は一流の人たちばかりで成り立っている」訳ではない。そこで、離脱したときに転職や再学、留学、いくつかの道を選べるのかもしれないが、「空白期間」が伸びると、活動の不全さえ起こす。

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最近、色んな分野の人たちと会った。

社名は知らなかったものの、100人規模のメーカーながら堅実な経営を一代で築き上げた社長、言わずもがなの大企業、シンクタンク、海外のメーカー、機構、研究所、役所、そういった人たちも「血の通った」生き方をしてきているので、真剣に対峙すると、真剣な熱が生まれる。全員ではないが、異分野で世の中をよくしようと思っている、そういった人たちと出会い、自分自身も出来える範囲のことで助力してゆくことで、暗渠に見える現実を少しずつ光を運べるのではないか、という少しの前向きな気持ちにもなれる。エネルギー、資源のことで日夜、世界中を駆け回る商社の同世代の人が言っていた。

「きっと、自分たち、人間が住む許容範囲を地球というところは越えてきている。それは開墾してゆき、二度と回復しない荒野を作り、欲に任せて、地球を痛めてきた報いかもしれない。でも、君もこうして生きているなら、わずかな未来に力を尽くすべきで、僕は自分の子供が嫌な世の中に生まれた、と思ってほしくない。」

−なんとなく、そういった意味がわかってきている。

今春は櫻花と多くの意思に背中を押された。
難解な瀬だが、人間という仕事はまだ続けていきたい。