春と鶯に誘われる陽だまり

昨年に思えば、ややパラノイアックに桜、花見をしていたのは既性への葬送の擬似作法だったのかもしれず、何かに「拘る」という行為は、その拘った分だけの時間や感情をどこかに売ります。そして、牧歌性とは違った文脈で、自己の再組成を促す―としたら、禍福は糾える縄の如く、心理的与件が具象性によって切り詰められてゆく、古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれる道を予感していたというのは今春になって、桜に対しての意識付けが変わったというのと並列化します。

これまでも、“桜の季節”は気分変調のためか、グルーミーになることが多かったのですが、きっとそれは良い/悪い、なく「変わり目」を最も感じる時節だからなのだというのと、基本、いつからか乗り物(知識)酔いのような状態で過ごしている感性がホメオスタシスを訴求するのが春に依る、そんな理由はあります。昨年のことを想い返せば、鬼が笑う瀬に、変わってゆく趨勢に変えられてしまう生活と、変われない価値観が鬩ぐさまをぼんやり私は、いつも電車、飛行機の中だったり、地に足が着いていない〈外側〉で捉えていた、そんな日々が未来を巻き戻します。

メディアが「語らなくなった」現実の内側に入っても、そう動揺しなくなったかわりに、憂鬱の度合いは個的領域で深まり、考えごとばかりしていて、「移動」と「思考」のパラグラフ化に関しては、この2、3年が異常になっているのは自覚しつつ、共振する関係性の下、悩むのではなく、考える強度を確かめていたのだとも思います。

ふと、定期購読の雑誌群を整理していましたら、ほんの5年ほど前の特集が「中国」、「インド」ばかりだったり、そういえば、ビジネス・パーソンの手垢のつきましたエピソードに「靴メーカーの営業マンが靴の履いてない場所に行って、靴を履いてないから商機はないとして帰るか、靴を履かせる風習付けをしてゆくか」ということに沿いますと、合成着色料で養殖された価値のプリンティング(刷り込み)はかなりの高精度で極まっていったということで、見えなかった「階級」が日本でも具体的に固定化されてきたり、一生縁のない場所と、日常でずっとお世話になる場所がほんの至近距離で「在る」、そんなマッドな様相に時おり眩暈をおぼえます。「識っていること」そのものが財産であるならば、差が開きゆく磁場で、「あの人の依頼は断れない。」以外に、「教えること」の範囲幅が自己内で変わります。

知識が無料で配布される瀬でなくなってきているだけ良いとは思いますが、いまだに、抽象思考に金銭的インセンティヴがなかなか付随しません。「モノ」を生み出している人たちが「わかりやすい」のもありますし、基本、表に出る人たちや活動家をして、「知識人」や「専門家」というのは、サイードに倣わずとも、自明でしょうから、世の中に役立つ実用知識を付与する役割は「誰か」がやってくれているのもあり、「誰も」が一家言を持たなくてもいいというのは年々強まっています。「なにかと大変な時代だからポジティヴに行きましょう」、というスローガンは「飲酒運転、やめよう」、「差別なき社会」などの横断幕と一緒で、記号でもあるだけに、その「記号」を解析機にかけて、バラバラに出てきたデータからバグを弾くのか、バグを拾って、保存しておくのか、の狭間で揺れる「判断」に還るのだと思います。「決断」ではなく、「判断」。

判断留保しておいたまま、制度が変わっていって、引き出しからだしてみれば、それが旧いばかりではなく、気付きをもたらせてくれもします。膨大なノート群に書き連ねられましたメモやデータや資料は過去の産物、その瞬間の褪せかねないものでも、今春に多くの役職を歴任されてこられた医者の方に「インドネシアやオランダに目配せするのは正しいと思う。」という話になったのはなにかしら、つながるものがありました。再生医療などの面では宗教倫理観含めて“どうにもできない”要素はあるものの、知識を捧ぎ、雇用促進や労働力、人材、所得の再分配に対してのプレゼンテーションをしてゆくには、「好機」な立ち位置に、ただ、過渡期にいるのは確かで、そこで40代に向けて駆け抜けてゆく模索は春風と鶯に呼ばれる陽だまりに佇む今でもあります。

ユリイカ 2014年4月号 特集=バルテュス 20世紀最後の画家

ユリイカ 2014年4月号 特集=バルテュス 20世紀最後の画家