GREAT3『愛の関係』を巡っての雑考

しっかりしたレビューは媒体にて書こうと思っていますので、あくまでイントロダクション的に。

追記:

排除しないこだわり
―GREAT3『愛の関係』によせて  

http://www.musipl.com/articles/article/00003-matsuura-01.html

として、UPされております。

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哲学者マルティン・ブーバーの『我と汝・対話』(岩波文庫)では人間の生きる二つの関係世界を生きていると筆致しています。

我と汝・対話 (岩波文庫 青 655-1)

我と汝・対話 (岩波文庫 青 655-1)

“私”そのものは「単独語」を生きている訳ではなく、我―汝、我―それの二つの形態を往来するということ。後者は、相手を利用する関係性のことで、前者は、相手を受容しようとする精神であり、GREAT3『愛の関係』という標題はまさしく、その関係性をなぞるような気がします。

9枚目のオリジナル・アルバムにして、滑らかな音の質感とプリンスの一時期の密室的な蠱惑性と、アナログ・レコーディング、より柔軟になったバンド・アンサンブルの妙はとても贅沢な時間で、こういう形容詞は的外れかもしれませんが、シャンソンを聴いていますと、よぎる「感覚」が追認してくるようなところがあり、それは「モナリザ」というタイトルの曲名が入っているからという蓋然的な帰着ではなく、思えば、かの亡きアンリ・サルバドールの引退ライヴも甚く、スノビッシュでゆえに美しく、こういった情報過多で衰弱しかねない状態においてポップ・ミュージックに浸る導線といいますのは、阿久悠氏や筒美京平氏、さらにはポール・コーターやバート・バカラックなどの偉業を追いかけるのと”等価”で自身にとって、美しい時速です。

併せて、無声映画で、グリフィス辺りを流しているといいものです。1916年の『Intolerance』はいつどんなシチュエーションで観ましても美しく、「何も語りません」。しかし、その語りかけない部分が作品から滲みだしてゆく空き地に受け手は多くの想いを馳せることができます。

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つい、懐かしい話や暗い未来話に強くなってしまう交叉する場所で、この淡く乱反射する色彩にはアシッド・フォーク、ニューソウル、昨今のブルックリン・シーン以降のロック・サウンド、ファンク、AORなど多彩な昔と進行形の音が込められていて、詩には幻惑と、死生観念、セクシャルに交わり合うメタファーまでごく当たり前の現実を更新するような眩さとサイケデリアがあり、言語が急速に「記号化」してゆく瀬におけます概念の再規定の閾内での、「共時態」、「通時態」、言語の統合関係と連合関係、とやはり「関係性の音楽」というのが残像化します。

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途中の沈黙期間、メンバーの変化はあったとしましても、実にGREAT3は20周年。20年前、私はカセット・テープで『Richmondo High』を擦り切れるほど聴いていたのを想い出します。「Fool & The Gang」を聴きながら、ようやく取り付けましたデートへ向かう際の電車の遅延、鎌倉の親縁を辿り、その家の複雑な状況下で朝食時のFMからの「Oh Baby」の優しい響き、昨年の再現ツアーも観に行きましたが、1997年のサード・アルバム『ROMANCE』は今も付き合いのある友達と、車の中で、色んな場所で何度も聴き…みたいな話をしますと、先ほどの昔話の強度の再確認の交錯になってしまいますので、程ほどにしますが、この2014年に彼らの新作が聴けて、また、本当に充実した内容だということそのものは去来する情景は数え切れません。

来週、店頭に並びましても、私はすぐ買いに行くでしょうし、そこでやはり「レコード・ショップでCDを手にする」交歓をあらためて噛み締めるでしょうし、コンポ・システムでじっくり聴く日が続くのだと思います。

愛の関係

愛の関係