バイーアに行ける日まで

00年代の終わりに有給を二週間用意して、フリーチケットを取って、サンバ・パレードの時期のブラジルに行こうとして、頓挫した経験があります。それは、私は死ぬまでにブラジルに、特にバイーアに行かないと気が済まないという位の想い入れがあるのは、やはり概ねブラジル音楽への敬愛にも近い、一時期フリーキーな時期があったからです。

レニーニカルリーニョス・ブラウン、パウリーニョ・モスカ、ペドロ・ルイス、マリーザ・モンチなどの現代MPB世代から…そして、カシン、ドメニコ、モレーノなどコンテンポラリー・アーティスト、アントニオ・カルロス・ジョビンジョアン・ジルベルトマルコス・ヴァーリなどのボサノヴァのレジェンド、無論、ナラ・レオンや、ガル・コスタ、ヒタ・リーなどのフィメール・アーティストも忘れられないが、ジルベルト・ジル、ジョルジ・ベン、などと並んでそこかしこに散見される「あるアーティスト」が僕は大好きで堪らなかったのです。確か、最初に買いましたアルバムは1997年の『リーブロ』でした。


90年に入って、ユッスー・ン・ドゥール、サリフ・ケイタなどの影響もありまして、「ワールド・ミュージック」という潮流があって、世界の辺境の、はたまた真ん中の音楽が先進国に「再発見されていった」訳ですが、老いてますます盛ん、若しくは先鋭化されていったのは彼のみだったと言っても過言ではないかもしれません。事実、バイーア州の片田舎の町のサント・アマロで生まれたのが1942年ですから、ライブ映像で見る彼の「声」は一層艶やかさとフェミニンな剛さを帯びているように感じますし、日本でも彼へオマージュを捧げる人たちが頻出したのも奇遇ではないでしょう。

最新作は作品としては、老成したアーティストの果敢な挑戦にも思えましたが、ライヴで再現されると素晴らしかったのはやはり彼の存在感やステージングの妙もあるのでしょうか。

参考:CAETANO VELOSO『Abracaco』(Universal)-COOKIE SCENE
http://cookiescene.jp/2013/04/caetano-velosoabracacouniversa.php

2005年に初めて彼のステージを日本で観ました時、クラシックやオペラやジャズやロックとは違う知らず知らずの涙は、僕は多分単純に「彼の声」や「彼の凛とした振る舞い」に胸を撃ち抜かれたからかもしれません。

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高校の頃は端的に小沢健二を、セルジュ・ゲンスブールを、大学でトム・ヨークを、そして、世界の辺境の音楽を彷徨している時期に彼と出会って、深く深くブラジル音楽の奥底へと潜行していったのですが、長いキャリアの中で強いて彼の中で好きな5作品を挙げるとしたならば、1971年の亡命期の『IN LONDON』の翳り、77年の『BICHO』の色彩豊かさ、85年のセルフタイトルの静謐さ、89年『ESTRANGEIRO』のロック性、97年の『OMAGGIO A FEDERICO E GIULIETTA』の美麗さ、00年の『NOITES DE NORTE』のアフリカン・ポリリズムへの希求でしょうか。

私にとって「彼の声と在り方と言葉と叙情性」はいつも自分の鼓動を気持ち佳く貫いてくれます。自身の誕生日を越えて。

アブラサッソ・ライヴ

アブラサッソ・ライヴ