isn't Over the night?

暖かくなったり、寒くなったり、シーソーのように変わる。梅の花が咲き始めると、春の馨りが鼻腔をくすぐって、少し自販機でお茶でも買って公園などのベンチに座って空を見上げたくなる。でも、PM2.5の関係かマスク越しに飲むお茶と大気はぼんやりと味が違う。

TVではよくグルメ・レポーターみたいな方が「美味しい」と言う。美味しいという感覚知を巷間に見せるというのが定着するのは不思議なもので、京都で舞妓さんは「食事の場」を見せないというのは、それは礼節に近く、僕自身も食というものを巡っては性的なメタファー含めて、何らかの羞恥性があるものだと思っている。今は寧ろ「食事」を見せることがデフォルトになっているが、有名店に鳴り響くスマートフォンやデジカメのシャッター音を聞いて、インドから仕事で京都に来ていた方が「もっと、他に撮るものあるんじゃないかしら、あの川とか空とか。」と言いながら、撮っていた写真は工事現場の看板だったり、漬物屋の漬物石だったり、町屋の屋根だったり、日本人からすると「よくわからない」ものが多かったりして、でも、そういえば、自分が初めて行く場所では名所を撮るというよりも、露地のよく分からないものや、野良猫を撮ったりしている。

記念品として世界遺産や名所や無論、有名店の食を撮るのを否定はしないものの、記念品は額縁に収められて、埃を被りやすくなる。それよりも記念品ではない、砂浜に落ちているような貝殻みたいなのに記憶が反射したりする。

もうすぐ、あれから三年ということで急に特集が増えたが、それまでの報道量が堰を切ったように「なにも変わっていない」、「悪化している」と不安をより煽るように続く。そこに、ロシアの本格的軍事介入ニュースから、誰かの訃報、時代の変わり目を否応なく感じさせるものが目に飛び込む。

そして、非常勤講師を幾つも掛けもちながら、どうにか生きていた学者の知己が四国の田舎に帰って幾歳月もたたない内に、どうも悲しいニュースが届いた。時おり、お酒を酌み交わして、議論をした日を想い出す。彼は、自分のような外れ者じゃなくて、典型的な秀才肌で、ストレートで学究の道に入り、ポスドク後、公募に行っては落ちて、ずっと苦しい生活をしていた。「田舎に帰って塾の講師でもするよ。」と言っての歳月の間、何を想って彼は生きていたのだろうか。もう彼の好きだった京都の喫茶店でお茶が飲めないのはただ悔しい。文科省どうこうよりも、アカデミズムを育成するシステム自体が既得性を持ち、ベースはシビアな椅子取りゲームで成り立っているゆえに「優秀」だけでは安定できないが、優秀なのに、生きていけないというのも不思議なことで、でも、一度、椅子に座れば、固定されたまま、よほどのことがないと動かない。

例えば身近な誰かが途方に暮れても
気付いていないような素振りで見て見ぬふりを出来るだろうか
遠くの街の出来事がニュースになっても
僕らはいつも他人事にして忘れてきたんだ
(「夜を越えて」)

長い夜に耐えられなくなってしまった人たちはこの春の訪れをどう捉えるのだろう。「生真面目に考えすぎだよ。」と公務員の知己が言う。生真面目の「生」は「生きながら」目の前の現実を負うことなんだよ、だから、そういう意味では僕はまだ夜を越えられていない。