「景気」という気分

「祖父母と孫を狙ったポジショニング戦略」について具体的に担当者やセミナーで何度も聞いたことがありましたが、その祖父母=高齢者層でも当たり前ですが、富裕層とそうではない層、中間層があり、今など介護付きマンションなど当たり前に億を越えるのもあったり、まず、そういう施設に問い合わせしましても、順番待ち以外に、「毎月20万円はかかりますよ」、というところから始まったりします。

授業参観や運動会でも「共働き家庭」の増加でどうしても祖父母枠、車椅子枠、そして、配慮しての教室で「みんなでお弁当を食べよう」という措置も行なわれていたり、同時に春休みや夏休みなどの際に帰省できる場所があるだけ恵まれている、そんな現状も散見します。

識者は、これからの日本の成長戦略としてサービス産業への構造転換の中で、医療、子育て、介護面について触れるものの、抽象的なものも多く、もっと雇用体系の変化や生産年齢人口の逓減、「人出不足になっている」分野と「人が余りすぎている」分野の精査が遅れているのも確かです。

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汎的によく用いられる“働きたくても働けない人”だけではなくて、働きたくなくても、例えば、子育てに専念にしたいのに、働かざるを得ない状況論に置かれるという倒錯―今、「専業主婦」という意味がある種のアファーマティヴ性を帯びるというのをそういうミーティングなどの議題で出ますと、何かと複雑な想いに駆られます。控除関係でも、パート主婦の103万円、130万円の壁も然りですが、春の増税以降、あれこれアベノミクスの名を借りた梃入れは急速に進んでゆくでしょうし、おそらくは日本での意識調査での大多数だった「自分は中の下くらい、中の上くらいだと思う」層の確実な変化は看過できなくなるとも思えます。

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賃金をあげても、物価があがれば、財布の紐は締まる。ただ、「景気が良さそうで年末年始に多くお金が動いたってニュースあったけど、そんな実感ないよ。ボーナスもそこそこだったし。」という声を受けますと、景気って「気分」でもあるから、ずっと切り詰めて今年はやってきたから、「たまにはいいか。」が重なると、そういう風になる訳だけど、逆算してゆくと、日曜日、めでたいことがあって、家族で5,000円のディナーを食べたから、今週は質素に、ってなるのは当然で、その母数の問題が「景気」の「気分」をときに左右するので、一部富裕層だけが回している市場という分かりやすい図式に収斂するのもおかしくなってしまいます。気分としての経済感覚は集積予期憂慮と諸刃なのかもしれません。