Re think as like Paul Pelliot

僕なりに考えて出した答えの中に
君だって何だって いつまでも紡ぎたいんです

最近、悲しい夢ばかり見る。起きて、それが夢で安心したりもするほどに。現実そのものもそれほど美しいことばかりではなく、込み入ったことばかりだけれど、パーカーやコートのポケットに手袋を突っ込んで、マフラーをぐるぐる巻きにして過ごす季節は嫌いじゃなくなった。

冬融けを待てる間、春にはまた櫻花は咲き、楽しい歌が聴こえて、入学・卒業など新しい始まり、終わりがあるのだろうし、「暗いこと」に視野ばかりあてていてももたない。自分の領域内のシビアな現状は仄暗くてもいいのだが、自身の想像を逸するような事件に胸を痛める朝は減らしていこうと思っている。

先月のことはどういえばいいのか、よくわからないが、今が在って、もう充分に前を見ていこうという気でもある。無理を通せば、道理が通らず、道理を護れば、無理を言われる。別にそれは悪いことじゃない。無理の「理」は理論づけできない「理(ことわり)」なのかもしれないし、道理の「理」は後からつけられた人間の作った「理屈」だとしたら、どちらも後次でしかない。

花や動物、子供、音楽、映画、アート、文学、色んな景色があってよかったと年齢を重ねてゆくごとに思う。知らなかったことを「知ってゆく」好奇心に早い遅い、また、老いはない。今まで気にもしなかった花の名前を憶えると、散歩や移動も楽しくなって、異言語を学び、通じると嬉しい。そして、世界中の色んな景観を通り抜けると、ここではない、どこかはないのだな、と思える。どこかはここなのだとも。

クアラルンプールの子供に貰ったキャンディーもバンコクで食べたナシゴレンもフランクフルトで揺られたブランコも長崎でサービスしてもらった角煮饅頭も、同じ記憶の味に染まる。記憶の味は人それぞれで、決して良い記憶ばかりが残らない。思い出話が美しいのは嘘で、加工・精製されている聖域だからで、自分自身、想い出話ばかりで過ぎる時間論には認識誤差がいるのだと考えてはいる。「あの頃は若くて、なんでもできたよね。」って言うのは正直、楽しい。でも、あの頃になんでもできなかったから、僕自身は曲がりくねった道を歩んできた。自分の家庭やこれからの人たちの未来のこと、これまで生きてきた人たちの往く方を真剣に考えるようになるとは思わなかった。

来月で、35歳で、周囲からは「それくらいで若すぎるね」と茶化される。そんなものかもしれず、それでも、それなりに色々あった。それなりに色々あった自慢は言うのも聞くのも何となく距離感があるのでまたいつかでいいが、もう35歳なのだな、ということと、まだ35年しか生きていないということで元気にもなれる。

なのかもしれない、ポール・ぺリオ関係の書籍をよく読む。13ヶ国語を話し、中央アジアの探検を行ない、沢山の古文書の1日ぶっ通しで穴倉にこもって、翻訳や解読に挑んだ日々。彼はそんな一日を後悔しない、と言う。辛苦に尽きない人たちは世に溢れている。社会という容れ物を再考する時期でもある。ただ、大それた意味でなく、知性や言葉やほんのわずかな愛的な何かや優しみや慈しみを自身なり少しずつ、少しずつ翻訳していこうと思う。

Paul Pelliot

Paul Pelliot