Good-bye 2013,

今年、最後の更新なので、雑記的に軽やかに。

あとで、この年が変わり目だったな、ということはわかると思うのですが、今年、2013年もそういう空白期間にして過渡期的な一年だったような気がします。

アベノミクスや法改正、または市場変化、国際経済のパワーバランスが表前化してゆくのは来年以降で、細部のクリアランスをしながら、病巣となる因子を解析していた、そんな感慨を自身では持っています。

電子仮構化された鍵つきのパラダイスの中で「(ひとつの)人格」が出来てゆくとしましたら、意識はしなくとも、パノプティコン型社会がなるべくしてなったのかな、というのは電車やフードコートなどでスマートフォンタブレット越しに「対話」している人たちの多さだけに依拠せず、それは異国から帰ってきて、日本特有の「内向き」のものか、といえば、オンライン・ゲームでは世界中のナードが繋がっている訳で、でも、そのナードたちは将来、エンジニアなり何かしらの専門的な何かを手に入れる可能性を内包していた場合も多かったのですが、現今、ネット喫茶でもそうですし、ジャカルタでもネット人口で膨大に居るものの、むしろ、富裕層じゃない人たちのネット・アディクトも問題になっています。

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例えば、ジャカルタ現地でブラーを観に行ったときに知り合った子たちはニューノーマル層、いわゆる、台頭しだしているニーティーな感覚で富と繁栄を捉えていて、良くも悪くも、自分たちが「もてる者」ということに非自覚的で、「もたざる者」への想像力への断線を敢えて敷いている、そんなところがありました。きっと、それはどんな国でも極まってゆく風潮で、今、たとえば、年金を払うことは間接的に国のため、というよりも直截的に親、その祖父母のため、みたいなエクスキューズがあったかもしれないですが、未納率が高まってきているのは間接理由が直截原因を上回ってきている証左ともいえますし、「ホームレスを観ないように」という教育は可視出来る未来への担保条件が不安にすり替わってきてもしまっているのかな、という懐疑を得ます。

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また、都度、関空に降りますと、いつも目に入ってきます光景は中国系の方々が紙おむつや生理用品を買い込んでいる姿で、京都駅のドラッグ・ストアでも胃薬や風邪薬を買い占めようとしている方々がいまして、店の方が困っている間の仲介に入ったこともたびたびありました。でも、イロニカルなのは、例えば、某・服飾店ではつい数年前までは”MADE IN CHINA”が圧倒的で、それをまた中国系の方が日本で買ってゆくということがありましたが、今は割合的に”MADE IN VIETNUM”が増えてきているのは、人件コストや工場の問題じゃなくて、メーカーサイドの判断がすぐに市場に反映されるということで、きっと、大きな工場、まだ見ぬフロンティアとしてBRICsはもう終わりを告げつつあり、NEXT11、いや、BOPまで巻き込みながら、レッド・オーシャンに既に変わりつつある海で有限リソースの水増しが始まるのかな、という気がしています。

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日本政府観光局は今年、日本を訪れた外国人が10月末時点で約866万人になり、過去最高だった2010年の年間861万人を超えたと発表しましたが、母体は富裕層が増えつつある東南アジア、中国からの団体旅行でしょう。もう今や、外食店で日本語・英語・中国語など多言語表記していない店の方が珍しくなりつつありますが、「お金を落とせる人たち」だったら、という店サイドの至極、当然の商売感覚が通底しています。英語、もっと勉強しておけば、中国語少し喋れれば、という前に、日本では日本語でプレゼンなり何かしらの発表をしてゆく故に、グローバル人材教育の前の言語論はスキーム再組成ではなく、浸透圧バランスを持ち崩すカリキュラムが組まれているのを見ながら、シラバス内に減ってゆく「教養系」に危惧も持ちます。メルティング・ポット化が加速してゆく過程で、来年の生き延び方は何かとハードな様相もあると想われますが、それでも、悪い報せだけではないもので、引っ張られるパワーある人たちの動きも地表化しているのも頼もしく。

とりあえず、さよなら、2013年。

正義論

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