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世界の政府総債務残高(対GDP比)ランキング
http://ecodb.net/ranking/imf_ggxwdg_ngdp.html

瞬雪が舞う京都で、ふと意識が遠のき、気が付けば、病院に居て、呼吸器をあてられていた。過労によるパニックらしい。すぐに治った。ずっとぼんやり夢の中で幸せな季節を巻き戻していた。少しだけ自分の限界の上を目指すような生活を続けてきた所為か、酷使してきた分だけ擦り減っているものはあったとしても、それでも自分よりもっと無理をしてしんどい想いをして、また、こんな雪化粧の景色を観られないまま、向こう側に行った人たちのことが先立った。

性善説性悪説についてよく考えていた。前者とは人間とは先天的に善を持っており、悪の行為を隠匿することから起こる、だからこそ、“べき”論の道筋で経済合理性での古典的な消費者とはこちらを指すべきが多い。こう行動して、こうすべきが元来の人間なの“だろう”ということ。後者は、本性は利己的なものであり、善とは“後天的に”習得してゆくものだということ。つまりは、性善説大江健三郎が言うような“壊れ物として生まれる人間”の真逆を指し、言語微修正を加えるならば、入れ子細工のように双者は相克する。環境要因で人間は変わっていけるのだろうか、という問いの中で、風化してゆく善性もあったと思う。

“絆”という言葉は流行った瞬間、その絆は継続するのか、に疑念を呈していたら、その“絆”という言葉自体がインフレ化し、もはや、使う前提条件でさえなくなったような気にもなり、助け合いや互恵は漂白した。正直、今、東京にオリンピックを招致することよりやることは多いと思う。勿論、オリンピックによって生まれる経済効果や熱気はあるだろうが、北京五輪ロンドン五輪のあと、訪れたそこには寂寥と空洞化した景色だった。その分だけ梃入れした旧き良き場所がなくなっていた。その場所に住んでいた人たちがいなくなっていた。

また、たとえば、TPPが通れば、多くの人種が行き交い、日本はメルティング・ポットになるのかもしれないが、それでいいと言う人たちの意見は“自由”の尺度への視角が曖昧だったりする。有限リソースの奪い合いがより苛酷になり、その範囲が既得性(これは広義で悪い意味でなく)から外れた際に、生き残っていけるパイは実のところ減る。総労働人口といっても、年齢構成差に目を配らないといけないように、誰もが働けるようで、誰かが生活していけなくなる。

終わりは始まり 分かってるって ここまでもなんとかそうやって
いつもやってきたけど これを終わらせたら間違いって 次の始まりなどいらないって思える 今をここで

混乱の本質 (プロジェクトシンジケート叢書)

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