「楽園なき経済」について、またはパイロット版
来年1月からある媒体に経済コラムを打診されまして、受けようと思っているのですが、まずはパイロット版として。このコラムは自身のフィールドに基づいた上で、経済至上主義がもたらす現実をときに数式やデータを入れて、進めるものです。
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「楽園なき経済」パイロット版 ピーナッツの殻が落ちる場所
シンガポールのラッフルズ・ホテルではピーナッツの殻を下に落とす。ラッフルズといえば、旧いホテルでカクテルのシンガポール・スリングの発祥ともいえる場といえば知っている方もおられるかもしれない。ピーナッツは今やグローバル的な象徴になっているが、昔、栽培に手間が掛かり、ジャガイモやトウモロコシなどの汎用性に比べると、コスト・パフォーマンスのみならず、味覚の面で難があった。ゆえに、先進国、欧州諸国でピーナッツはあくまで添え物としてあり、開発途上国では大きな食糧源となっていた。
ピーナッツの木は痩せた土地でも育ち、土壌改善にも役立つ。戦後の荒れ地になった、例えば、アメリカ南部では綿花栽培のヴィクティムとして土壌の質が落ち、浄化と換金のために栽培を始めたように。ただし、負荷作業率と対価率はインバランスで、それでも、農作物の変動幅で生計が変わる農家の命綱としてもあった。
そのピーナッツを巡る環境が変化するのは、1900年以降、アメリカ、ドイツの化学者たちの研究により、工業活用されることが発見されたからである。塗料、石鹸の材料、また、欧州ではオリーブオイルの代替物としてピーナッツ・オイルが使われることもあった。高価なオリーブオイルよりピーナッツ・オイルを、という発想もあるが、需要と供給面でいえば、供給サイドたる中国、インド、西アフリカなどの量がまだ余裕があった面も大きい。そんな需給ギャップがあったが、第一次世界大戦中、終戦後にはあっという間に需要は供給を上回るペースになってしまった。
では、なぜ、ピーナッツがグローバル的な象徴になっているか、というと、マルクスの『資本論』に倣わずとも、資本家―地主―労働者の構造がそこでも生まれたからである。ピーナッツ栽培の場所とは、痩せた不毛な土地が多いと触れたが、基本、貧しい人たちが生活のために細々と生きていた場所で商業土地ではなかった。そこで、ピーナッツの需要が増えることで、地主が土地の所有権を主張しだす、つまり、土地が「お金になる」という資本主義の基礎たる要素を内包し始めた訳である。
事の顛末は、1930年代から1940年代に供給過剰になり、価格は暴落し、産業革命の折にピーナッツは栄枯を味わう作物となり、残ったのは市場で余った殻だけだった。床に殻だらけになったラッフルズ・ホテルがあるシンガポールもポスト・コロニアルの波を受けた場所で、その殻を毎日、清掃する人も居る。それが市場なのかもしれない。
- 作者: 渡辺利夫
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
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