星野源「地獄でなぜ悪い」によせて

いつも窓の外の 憧れを眺めて
希望に似た花が 女のように笑うさまに
手を伸ばした

―手を伸ばしたが、届いたのかは分からない。

一度、病気で倒れ、復帰しての『Stranger』というアルバムに周囲ほど自身が乗ることが出来なかったのは少しサウンド以外もデコラティヴになりすぎてしまい、彼の「声」が聴き難くなってしまったところにある。無論、悪い作品という訳ではなく、「夢の外へ」以降のストリングスが絡み、豪奢になってゆく汎的なポップ・ソングとして拓けた様の延長線にあった中で、『エピソード』内での「変わらないまま」から「くだらないの中に」に繋がる“いとま”の美しさが少し喪われている、そんな気がしたのもあった。

基本、彼岸性と諦念を持ちながら、それでも、日常ってこんなもので花は美しく、リビドーに突き動かされる、というテーゼを歌うときに滲み出る抒情に魅せられていたのかもしれず、巷間の要請が膨大に“星野源”という存在を求め出した頃、サービス精神過剰でワーカホリックな彼の意思が不可思議にも合致した結果の産物が『Stranger』という気がする。だから、いわゆる、過去で言うHouse Ver.ともいえる2分ほどのSecret Trackが最後に密やかに入っているところに胸が打たれた。

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何処に居ても 一人だとさ
それでも 次の扉を暖かい未来を信じて
ハロー 見たことない ハロー 聞いたことない 
ハロー 君と僕の中のストレンジャー

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ただ、その後の「ギャグ」(http://cookiescene.jp/2013/05/victor-3.php)は毀誉褒貶あろうが、必然的な、といおうか、ホンキートンク調のピアノが心地良い軽快な曲で、動かされるものがあった。その後の経過観察による再びの活動休止があり、その病床で書き綴られたという「地獄でなぜ悪い」はセッション的に雪崩れるサウンドの中で、印象深い歌詞が刺さるものだった。

なお、弦、サックス、トランペットなどもフィーチャーされながら、伊藤大地(Drums)、伊賀航(Bass)、長岡亮介(Guitar)、スガダイロー(Piano)という布陣からして、マイルスとテオ・マセロの関係性のように、4分以内でコンパクトに収まっているが、それ以上のテイクとカオスがあったのだと思う。フォーキーに爪弾く素朴な叙情から「夢の外へ」以降期のハレと重みの双極を一区切りを纏め上げるにはこれくらいの獰猛さで霧消するくらいが丁度いいのかもしれない。実際に本シングルに収められているカラオケ・ヴァージョンだけを聴くと、フリージャズのような自由性が“うた”を放棄しているとさえ感じる。そこに、彼の病室における極限の想いが投影される。病室、夜が心を蝕むこと、いつも夢の中で痛みを逃げること、窓の外の標識、外/内の未分化される隔離状態の中で彼は「嘘でなにが悪いか」と問いかける。

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基本、暗黙の社会規律とはある。

「当たり前」といえるような、日々生活をおくる中で、老人に席を譲ることや、公然で裸になるな、飲酒運転はダメだとか、言葉遣い、究極は殺めることまで細部に渡り、それが人間をかろうじて共同生活下で多くの縛りによって、自由に往来させている訳だが、社会側の装置として今、「個」は阻害されているところもある。例えば、場所を示すツイートを捕捉する機関があったり、個人情報さえもう銀行に預けないといけない時代になっているようで、かつては暗黙で許され得なかった倫理観や道徳性が簡単に破られ、ネットでUPされたりする。それを面白がるように、すぐに不道徳は伝播し、自由な現代的な性格と過剰に拮抗する。例え、嘘でも―。星野源はそこで、こう唄う。

ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ

同名映画の主題歌といえども、「地獄」とはとても記号的な何かを示唆する。

“生き地獄”みたいな言葉もあるが、生きるために費やす時間や念慮は地の底を這うようなしんどさを憶えることもそれぞれであるだろう。例えば、借金で150万円くらいのラインで自殺を考えてしまうみたいな諸説もあるが、それは経済的与件が心理的困窮にダイレクトに繋がるという訳ではなく、“その先がない”という社会環境の条件性になる。星野源が病床でどんな想いで書いたか、察するに余りあるが、開き直りでもない“真っ当”な感覚のまま、最後まで突き抜ける。

幾千もの 幾千もの 星のような 雲のような
「どこまでも」が いつの間にか 音を立てて 崩れるさま

どこまでも行けない瀬、崩れるさまを怜悧に切り取り、それでも、「同じ地獄で待つ」と言い切る。

再復帰し、来年2月には武道館の振替公演も決まった彼の在り方は頼もしさ以外には感じ得ない。かつて、彼はこんな歌を唄っていた。

叫ぶ狂う音が明日を連れてきて
奈落の底から化けた僕をせり上げてく
(「化け物」)

明日とは昨日の続きのこの、今で、底から見上げる空は澄んでいるはずだと希う。