0.8秒と衝撃。『NEW GERMAN WAVE4』

スティーヴ・ライヒの1971年に発表した『Drumming』 はアフリカ音楽のポリリズムに影響を受けているが、前年にガーナ大学にてドラミングの研究に勤しみ、3拍子をベースにパーカッションの幾重ものトランシーな反復、ズレ、そこから旋律への回帰の中で、ミニマリズムがもたらす不可思議な陶然をもたらせてくれる。

0.8秒と衝撃。の新しいアルバム『New German Wave 4』では、「Mad Drumming」という曲名に1から7までの番号が振られているが、それはライヒを始めとしたミニマル・ミュージックが曲名として用いる文脈に近く、エレポップからニューウェーヴ調まで多彩な曲が入っている。よりビートの精度は高められ、歌謡性より呪術性がより先立ちながらも、ノイエ・ドイチェ・ヴェレの影、クラウトロックの影響下に今作はありながら、唄とソングライターの塔山忠臣が石野卓球の98年のソロ・アルバム『Berlin Trax』という作品にインスパイアを受けたというのがまた、面白い。

当時、電気グルーヴとしての活動は「Shangri-La」のヒットもあり、J-POP枠でも評価され、『A』という充実したアルバムのブレイクもあり、勢いとともに、テクノ・ミュージックをシーンに浸透させている時期であり、ラブ・パレードへの参加、兎角、異常な熱量が彼の周囲を取り巻いていた。その分、ベルリンで作った硬質なビートにストイシズムに貫かれた当該作は耳で聴いても刺激があったが、フロアーでこそ活きる、そんな内容といえた。

0.8秒と衝撃。も作品を重ねるごとに、ライヴでこそ体感できるための余白を削っていった節があり、その分だけ、一曲に詰め込まれたアイデアの量と音楽要素はマッドになってもいた。前作の『【電子音楽の守護神】』も、音塊として鉄壁のように固められたサウンド・ワークは多少の“遊び”も魅力的であった彼らにとっては分岐ではあったものの、饒舌にいつも自身の作品に語る塔山氏が今作についてはやや控えめの言及におさえ、また、ツイッターにおいても過去のような大言壮語の数が減っているのは、つまり、感覚で捉えて欲しいという証左かもしれず、実際、これだけスタジオ作で“トベる”彼らとはあったようで、なかったかもしれない。機材にしても、シーケンサーの導入も大きく、マシン・ビートとこれまで通り、鋭利なギター等の生々しさとJ.M.とのツイン・ボーカルも混じり合っている。

但し、勢い一辺倒ではなく、オブセッシヴさが背反的な魅力であった彼らの中では、アルバムらしい、多彩な含みが散見される。特に、「Mad Drumming」の冠詞を抜けた2曲のバラッドはサウンドスケープとともに、透徹としたこれまでにない美しさが胸を打つ。その中でも、ヴォルケーノ・クワイアの新作やポスト・チルウェイヴの流れを汲んだようなサイケでドリーミーなJ.M. が主体となった「UkuLeLe HiBisQs」はリリックからアレンジメントまで素晴らしい。

最初で最後の言葉なら 生きてる瞳で伝えてよ
さよならも言わずに行くなら あの日に戻って 抱きしめる

(「UkuLeLe HiBisQs」)

戦後、西ドイツのノイエ・ドイチェ・ヴェレはパンクをベースに、商業主義メインストリームへ凄まじいまでのアンチテーゼがあった。無調としても、ただのガラクタを叩くだけでも、ベルリンの「壁」近く、1981年9月4日に行われたポツダム広場のサーカス・テントでの「大没落ショウ、天才的ディレッタント祭」は象徴的だったように。かつてのボウイがベルリンに魅かれるように、塔山忠臣がますます意識をそちらに傾けながら、初期の荒々しさと比すると、音楽性としては豊潤になっているのが興味深くも、カオティックに加速する様はより孤高になっているとさえ思える。鬼気迫るテンションとともに、この音から楽器を持つ人たちが増えるのではないか、という期待も生まれる。無数の見えない壁で区切られた時代に。

NEW GERMAN WAVE4

NEW GERMAN WAVE4