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今回の僅かな四国旅行では、過ぎゆく季節の楔に変わるような、そんな日で、行き当たりばったりながらも、普段、忙しくて忘れてしまいがちな感覚を取り戻すような逆光で眩しいフロントガラス越しに見える夕陽が沈む叙情と、風景自体の優しさに気付かされた。

明石大橋を渡り、徳島で昇った剣山は上に樹氷が木々を覆い、車窓から見下ろした標高1,000m辺りから観た渓谷には紅葉のほのかな赤と緑がコントラストではなく、調和していた。

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東祖谷のかずら橋は奥まった風情があったものの、祖谷の方は周辺が完全に整備されて、大きなバスが幾つも停まり、色んな言語が行き交っていた。祖谷そばの独特のポソポソとした食感、出汁は美味しかった。滝も苔を穏やかに宥めていて、大歩危の水の澄みを見下ろし、寄り道ばかりして、着いた道後温泉の旅館の露天風呂からの宵の街模様にはこの数年ほどの疲れが癒されるようで、夕食の鯛の刺身は美味しかった。明治からあるという大衆浴場で飲んだ温かいお茶に芯から解れ、ぼんやりと長い一日に去来するものは尽きなかった。


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この1年は色んな国、場所を多く駆け回り、自身も病気や過労、心労で悩まされたが、それ以上、喪ってしまってもう手に入れられない「何か」や変わらないまま水増しされる絶望や悲観的な束にひとつひとつ反応しては、機内で聴くホロヴィッツに涙が止まらなかったり、新しい出会いや責務には胸も躍った。

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20代から転げるように早いよ、と周囲に言われながらも、最近は一日一日の密度や大切さに感謝もする。これからやっていかないといけないことは多すぎて、流石にその数々に折れそうになるところもあるが、やるべき人がやっていかないと、「もう、いいや。」では動くものも動かないのだとも思う。ただ、一人で抱えられるキャパシティをもう少し再配分できるように、雇用体系をどうにか出来ないものかなど考えは尽きない。

たとえば、大学院生の雑務にも給与が出るべきだと思うし、セーフティーネット論以前に、ワーク・シェアリングという概念をもう一度、再検討してみるのも感じる。

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四国でも山間を走っていると、郵便局や生活の息吹はあるが、看板だけがあって寂れた廃墟のような建物や、かつて賑わっていた“だろう”気配だけが幾つもあり、都市に出れば、どこの街でも同じような店が犇めいている。悪いとは言えないし、その恩恵を受けて、自身も生活が成り立っているゆえに、高度化、ファスト化する世の中の経済状況から新興国経済やBOPビジネスに光が当てられるのは良いことだとは思う。でも、成長し続けることはできず、どこかで成熟のあと、なだらかに身の丈の生活は速度は緩む。サイクルとして欲望した「主体」は、その「主体」とは別枠に“かつて”からハードルを下げられない。別に、なくてもいいものはなくてもいい。経済学の合理性は今はバグを含めて、性善説たる消費者の合理的活動を理論化し得ないところもある。

四国のカルストや鍾乳洞、土佐の貝料理などを食べつつ、夜に古くからやってるいわゆる、スナックで70歳のおばさんと色んな話をしながら、微睡みのまま、すっかり酔ってしまった。また、来れるのはいつになるのか分からないけど、出来る限り、確かめられるものは確かめていこうと想う。