「街の灯」について

まだ来月分がありますので、それも楽しんで戴ければ幸いですが、現在、上野三樹さんのサイトYUMECO RECORDSさまで今年から毎月更新で、紀行エッセイというには、大層ですが、細々と過去に私が行ったことがあります国や都市のことに絡めて、文字、想いを綴ってきました。

途中からエンドロールの着想が見えてきたのもありまして、最終的にウロボロスの蛇みたくなるのですが、なんとなく、裏話としては、旅といいましても、仕事絡み、プライベートにしましても、行くまでの昂揚と比して辿り着いたら、そこでの現実がずっとある訳で、何でも「過程」が面白かったりします。

好きな人に、好きなライヴに会いに行くまでの移動中など、きっと始まってしまいますと、どうしても終わりが来るわけですから、終わっていないまでの猶予に自身を担保付けして安心するメカニズムもあるような気もしますし、移動そのものが疲れることながら、その移動がときに全てでもあったりします。

何らかの形で閉塞、鬱屈している人に会ったりしますと、これまで結構、簡単に「海外にでも行ってみて、対象化してみたら?」と言ってきたのですが、今は経済的与件や時間論もありますので、難しいと思うものの、自身がそういう経験があったというのは否めません。

ただ、安易に海外留学やワーキング・ホリデイなどで行きますと、キャリアやなにかと厳しくなってしまうものの、多少の期間、異国、異文化の中で生活をしてみることで、これまでの自分の生活圏や在り方が逆説的に浮かび上がってくることも多いです。

憧れだった場所に行ってみると、そうでもなかったな、とか、そこでの生々しい現実は日本がいかにまだ平和なんだな、とか。でも、夜が来ましたら子供たちは家に帰りますし、朝が来ましたら、朝食の屋台が出たり、働きに学びに出る人たちがそこで食べていたり、そう変わらない景色ばかりで。

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そんなわけで、
以下、各回について少しだけ補足でもないですが、そういうようなものを。

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第一回「北京、原色のネオン」
http://www.yumeco-records.com/archives/1725

この企画を打診戴きましたとき、北京から始めようと思っていました。中国という国はニュースで見聞していますと、色んなイメージがあると察します。ただ、最初に訪れました際、何だか膨大なエネルギーに吸い込まれるように、それまで日本で悩んでいたミクロな自身が開放されるような感覚がありました。60億分の1たる自分は代替不可能でも、誰かに何かを預けても、当たり前に世の中はまわってゆくこと。それでも、「私」は「私」でしかないこと。そういう曖昧さを認識させてくれた場所でした。

第二回「ドイツの窓明かりから」
http://www.yumeco-records.com/archives/2204

幼少期に居た異地の記憶とは鮮烈なもので、そこから派生した断片が今も活きているような気がするという想いの回です。重厚な空と石畳を歩きながら、理由もわからないながら、迎えた誕生日や今はもう無くなったいくつもの実在を巡りまして、結局、記憶の中で美化/劣化していくとしましても、今、在ることでその「不在」を担ってゆくのだなとも思います。

第三回「台北、灯下の約束」
http://www.yumeco-records.com/archives/3179

この連載では、人の繋がりや交流も要所で記してきたのですが、気の置けない知己と行く旅行は良いものだということの副文脈がある回です。何も決めず、行き当たりばったりで、他愛ない話でも通じる知己と知らない街をウロウロするというのは一生の内にそう機会ってないのかもしれない、と感じもして、やはり、これ以降、ここに出てきます知己とは第二回目の、旅はなかなか叶っていません。お金が出来てきたら時間がなく、その逆も、というのはやはりそうなのかもしれず。

第四回「シンガポール、悲しき熱帯」
http://www.yumeco-records.com/archives/3802

今の自身に繋がる直接・間接の契機になりました場所で、大人になっての或る程度、キャリア・ラインをどうしようか決める端境の中での模索の旅とはリスクも孕みますし、このシンガポールのときも研究方面に進むと決めた中での緩衝でもあった訳ですが、先の不安に飲み込まれるような体験をあの亜熱帯でしたという倒錯が帰国してからの自分をもう一度、鼓舞させてくれたような気がします。

第五回「UK、目的地を逸れて」
http://www.yumeco-records.com/archives/4219

寄り道の重要さについてのシンガポールから続きのような回です。まっすぐ目的の場所に向かう途中に気になってしまったカフェに入ってみたら、案外、雰囲気が良かった、そんなような経験ってある人も多いと思うのですが、いつか行こうの「いつか」は寄り道に遮られて叶えられないときもあったとしても、いつか、その寄り道の向こうに何かがあるのではないかな、と。

第六回「長崎、路面電車と郷愁」
http://www.yumeco-records.com/archives/4547

初の国内ですが、これはまさしく今年、何かとありましてよく行くことが多かった訳で、まさか長崎と少しずつ縁が出てくるとは想わず、そういうリリシズム、感傷も出ている、おそらく真っ当な旅行記としてはこの回だけとも。

第七回「北海道のぬくもり」
http://www.yumeco-records.com/archives/4764

引き続き、国内ですが、これはいまだに遠心力が私の中であります北海道を巡っての過去のフェスなどの記憶とかろうじての引っ掛かりがあったことなどを絡めつつ、近い場所ほど遠い、遠い場所ほど案外、近い、そんな二分律やアフォリズムで語り得ないことは重々承知していますものの、撞着はあるもので、旅のディレンマ、エトランゼであるための条件性みたいなことを行間に忍ばせました。

第八回「スペイン、完成しないシエスタに」
http://www.yumeco-records.com/archives/4923

この回から意図的に少し雰囲気を変えていっています。核心的になってゆくといいますか、旅そのものの儚さと具象性を詰めながら、サグラダ・ファミリアを初めて観たときの感情を通じて未完成のままで未来が先延ばしされていけばいい、みたく、あまりに現在の加速度を増す世界の状況に対して疑念が擡げていたのもありまして、じっくり急げばいいじゃないのかな、という個人的な感慨があらわれています。

第九回「チェコ、マリオネットのほつれ」
http://www.yumeco-records.com/archives/5093

実は、この回はジャカルタを考えていました。流石に今年、何かと往来していました場所でそこのあれこれを書かないと、と思いつつ、裏のテーマである「ビール」について触れないと、という内にチェコになっていき、ピアフなども含め、少しシリアスなものになってしまった―自身が書いておきながらも、着想から筆致の幅は読めないところがあります。

第十回「インド、深い河のほとり」
http://www.yumeco-records.com/archives/5239

第十一回「パリ、パンテオン広場からあてどなく」
http://www.yumeco-records.com/archives/5400

この二回は来月の回で一旦、区切られましたら、その際に、と思います。

【YUMECO RECORDS】
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