【REVIEW】ARCTIC MONKEYS『AM』

ロンドン・オリンピックのセレモニーでのアークティック・モンキーズは捲し立てるように「I Bet You Look Good on the dancefloor」を大観衆に向けて歌い、喝采を受けていた。その光景はTV越しに観ながら、圧巻で、06年のファースト・アルバムの熱量をあらためて考えてもしまった。

『Whatever People Say I Am, That's What I'm Not』。ヒップホップのリズムにストーリーテナーとしてのアレックス・ターナーのニヒリスティックな佇まい、そして、久しぶりに出てきたロック・バンドとしてのトリックスター性(/イコン性)も持っていたように思えたが、シェフィールドの野暮ったい青年たちがそれから歩んでゆく華やかな軌跡は多くのメディアが語っているので割愛するが、この『AM』は作品としては面白く、ただ、彼らの新作ならば、『Humbug』辺りから感じられていた砂漠のブルーズへの近接、グルーヴ重視のBPMを落とした重心をおとしたサウンドが奇妙な形で極まった感もおぼえる。

ジョシュ・オムとの出会いも大きいだろうが、批評性そのものをバンドが孕んでいたことにメディアはさらに意味付けしてゆく過程の中、彼らはレッド・ツェッペリン的にサウンド・ワークを強化してゆき、多様な要素を咀嚼し、都度、アウトプットしてゆくのではなく、ハーモニーワークに凝り、まるでオールド・ヘビーロックに回帰し、楽しく演奏しているように見える。

もちろん、リヴァーヴやドラム・マシーンなどでの意匠が活きている曲もあるが、成熟が刻まれた内容であり、アレックスが自らのナイーヴな心情を吐露しているという意味では、ブラー(http://cookiescene.jp/2012/07/blurunder-the-westwayemi.php)が英国三部作を経て、『無題』へ至ったときの回想を巡らせてしまう。ブラーの場合は、USインディーとの共振、実験的な作品だったが、デーモンがそれまでの英国的ないかにもなシニックを捨てたのと比して、アレックスは最近のリーゼントの髪型といい、無邪気なまでの大人への速度が興味深い。穿った見方をすれば、ここ最近の彼らにすっかり大人になってしまったと思っていた人も多いかもしれず、やはり「When the Sun Goes Down」を求める向きもあるかもしれない。ただ、例えば、「Knee Socks」での奇妙なギターフレーズと緩やかなテンポ、ハーモニー、挟み込まれる女性のコーラス《You and me could have been a team / Each had a half of a king and queen seat / Like the beginning of Mean Streets / You could Be My Baby》の展開はグッとくる人もいると察する。また、「No.1 Party Anthem」、「I Wanna Be Yours」ではスコット・ウォーカーを敬愛するアレックスらしいアシッド・フォーク風の叙情も美しい。T-レックス系譜のブギー「I Want It All」まで、新しさやラジカルな舵取りよりもロック・バンドとしての一体感を大事にする姿勢を選んでゆくことで、アークティック・モンキーズはもしかしたら、これから新しい再評価とこれまでと違ったリスナーを増やすのではないか、と思う。

若者の葛藤、もどかしさのためだけにロック・ミュージックは在り続けるわけではなく、最近のライヴでの彼らは新旧曲をフラットにパフォーマンスして、近作の曲でもオーディエンスをしっかりスイングさせている。この『AM』もそういう意味で、決して彼らの判断の分断線がない堅実な作品だと思う。

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