DARRYL WEZY『MAZE of FEARS』 ―ポスト(その後)ゆえの主流

ジャカルタで先ごろ、ブラーをメインにしたイヴェントを観たとき、とてもニートで綺麗な服できめた男女を観たが、経済的与件のみだけでなく、インドネシアで急激に育ちつつあるニューノーマル層、そして、そのチルドレンたちの「クール」への視線は鋭く、鮮やかなまでに眩い。ファッションから、何を食べるか、そして、傍らには小粋なノヴェル、ペーパーバックと、映画館でもいつかの日本のポストモダンを想わせる監督や潮流を纏めた特集が為されていたりする。

しかし、それは極一部の話で、メインを離れ、脇道を歩けば、雑然と日々の生活そのものを維持するための苛酷さも広がっている。それは、経済成長のときに起きる成長痛のようなものなのか、新興国を巡ってベットされる資本や情報はどこまでが真贋なのか、全部は当然に、わからない。

まだ22歳というジャカルタ生まれのダリル・ウェジーが飛び込もうとしている場所も、要は、そんな「わからなさ」なのだと思う。青春がどういった形でおくられるのか、国や場所によるかもしれないが、ダリル・ウェジーというペンネームはデビューした際に用いようと彼は、それなりに富裕な環境で、90年代のMTVを見まくる日々をおくったのだろう。ビートルズ、ラーズなどのマージービートやビーチ・ボーイズやママス・アンド・パパスのような色褪せないグッド・メロディと、極めて現代的にカーディカンズ、ハイ・ラマズ、もしかしたら、タヒチ80ベル・アンド・セバスチャンもそうだろう、音楽がスイングするために必要なリズムを全面に吸収して、アルバム・タイトルに入っているようにまさに“MAZE”されている。

聴く人が聴けば、USの新しいシンガーソングライターがデビューしたのか(実際、音だけステレオで聴いたときは初期のジェイソン・ムラーズなどを筆者は想い出してしまった)、と錯覚するかもしれない。

そもそも、アジア諸国で今や少しディグすれば、ネオアコ的なサウンドを奏でるバンドは本当に増えた。スタイリッシュにポスト・パンク以降の流れを汲み、然るべき服装と意匠でカラフルな音とメッセージを届けるようとする姿勢。それはとても健全で、何らかの剽窃でもなく、伝統と固定観念の間はいつでもトレードオフにあるべきだと思う。

進まない時間や文化はないのかもしれず、だから、1曲目の「Imaginary Hell」からストリングスが軽快に絡み、カッティングされるギターに甘酸っぱいダリルの声が乗り、アドレスセントなリリックを目映いメロディーでコーディングする様にはくすぐったさを感じる人たちも多いかもしれない。いつか通った、あの瑞瑞しさと不安と無茶と、自身の未確立からなるもどかしさが混在した季節。

ゆえに、既視感はどれもあるかもしれないが、例えば、2曲目の「Automatic High」や8曲目の「The War Is Over Now」などが流れているカフェなどはつい長居してしまいそうな気にもなる。ゆえに、機能的だとかではなく、洗練しているということであり、そのカフェはジャカルタでなくていい(いや、ジャカルタでもそういったカフェは増えてきて、コステロ、フェニックス、ヴァンパイア・ウィークエンドなどをスマートに繋ぐカフェもあった)。

こうして、拓けてゆく国の都市の真ん中ではこういう音が鳴っていてもいいのだと思う。

メイズ・オブ・フィアーズ

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