今すぐ、ではない生き方でも

新政権になり、まるでトップは外交と会食とわかりやすいフレーズ・ステイトメントを是とするように、この半年を駆け抜けた。その一方で、株価の乱高下、ちょっとした贅沢、財布の紐が少し緩み、百貨店などで奢侈品が売れてきた、景気のディプレッションから回復しつつあるのではないか、というメディアの文言と、スカイツリーグランフロント大阪あべのハルカス、巨大施設が並び、富士山が世界遺産になり、晴れた報も喧伝されるようになり、なぜか、予備校の教師が「今でしょ」と何度も言うような瀬になっている。

きっと、総て、今、すべきことは本当に今じゃない。

昔から「今、勉強しておかないと、後々、苦労するから。」と周囲に言われてきたが、その時の今、懸命だったか、というとそうでもなく、今の後々にその「今」を重ねて、更に“その先々の今”を想って、動いていた、そんなことが多く、自身が現在、新興国の教育プログラムやインフラ再整備、経済システムの投資などの会議に出ると、政府の状況にもよるが、大体、何十年規模の長いスパンの計画の下に中期計画で、少しずつ舵を取ってくるのが常で、そこでの優先順位は経済成長なのか、文化啓蒙なのか、医療整備なのか、常に鬩ぎ合いながら、それぞれ「今でしょ」で片付けられる何かは、なく、教育と文化、教養は昔ほど絡み合っていなく、大学で「教養を教える」のはいわゆる、一般教養ではなく、知己や余った時間や図書館やキャンパス以外で育まれたはずなのに、その「教養」は実を取るか、とすれば、もっとやるべきことは多い。

就職試験でのSPIや一般教養も然り、形式をなぞった知識は「情報」で根付かず、瞬間の武装で解除される。そこから、知識や教養、倫理を強化してゆくには、「今でしょ」のフレーズは茫漠とその後を曖昧にさせる。

先日、大阪でとても長い行列ができていたので、様子を見ていると、土用の丑に向けた「うなぎ」を巡ったものだった。「うなぎを食べるなら、今でしょ」と紙に書かれていた。周知のとおり、餌となる稚魚の減少で、日本のウナギは今、絶滅危機にあるともいわれ、値段は相応に数年前より跳ね上がっていた。でも、その行列に並んでいる方々は今、このうなぎのために、何かをヘッジしている。

つまり、今、何かをすることは何かをヘッジしてしまうことで、リスクも同時に顕在化させる。リスクをヘッジして、リターンを得るのは「今ではない」ならば、天気予報が外れるくらいにアテにならない混沌としたこの世で、今すぐではない生き方も必ず日の光を浴びるのだろうとも思う。