スピッツ「さらさら/僕はきっと旅に出る」―見られていない間の自由

シングルとしては約2年8か月振りという間隔よりも、2012年に『おるたな』があったのもあり、近年、シングルの意味が変わり、よりライヴ志向になっているムード下で、ふと届いた、という感触を得た。

2012年のファンクラブ・ツアーでも、新曲を幾つか披露し、その際のお土産DVDには『とげまる』のツアー時でも新曲として公開された「あかりちゃん」という曲のスタジオ・セッションの映像が入っていたこともあり、ただ、スタジオ新録、作品、シングルという媒体では、ということでは意味深さもある。想えば、「あかりちゃん」の歌詞も直截的で主体的なものだった。

君のことばかり考えたい そんな幸せを取り戻そう
樹々もビル谷もすり抜ける 冷たい風に心乗せて
あかりを見よう

指の先に熱感じてる 気のせいかもしれないけれど
僕は生きる 今を生きる 歌いつづけてる

「さらさら」がまず、ラジオ局の春のキャンペーン・ソングということでいち早く解禁されたが、疾走感溢れるというものではなく、寂寥と仄かな切なさにコーラスが映える曲で、亀田誠治氏がプロデュース・アレンジに関わっているのもあり、『三日月ロック』〜『スーベニア』期の印象も少し受けた。『スーベニア』期のインタビューで草野氏が30代後半の微妙さを語っていたが、まだ始まったと信じたい、という言を残し、人によっては枯れたり、充分に中年になったり、戦略外通告を受けた野球選手などの比喩にミュージシャンとして短くないキャリアを重ねた自身の現役感について思索を重ね、やっぱり物騒な世の中になってくると、そこで浮ける覚悟はあるか、と感じる、と云う。

『スーベニア』という作品はストリングスも入りながら、民謡調、レゲエ、ギターロックまで幅広い音楽性を閉じ込めながらも、歌詞はストレートなものが増えていた。

空回るがんばりで許されてた 現実は怖いな
逃げ込めるいつもの小さな部屋 点滅する色たち

「ありふれた人生」

優しくなりたいな 難しいと気づいた
だけどいつか 届くと信じてる

「優しくなりたいな」

愛されるような道化になった
「ワタリ」

会いに行くよ 赤い花咲く夏の道を 振り向かず
そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る 感じてみたい君のとなりで

「会いに行くよ」

ラップにチャレンジしたくて、デモ・テープを録ったという言もあるが、「さらさら」でもラップまではいかないが、言葉を詰め込み韻を踏むように歌う箇所がある。

4分ほどの曲内、具体性を増した歌詞と、輪郭がはっきりとしたメロディーや澄んだアレンジメントは耳障りがとても良い。そこに、「まだ続くと信じてる」、「朝が来るって信じてる」という願いのような想いが添えられながら、「悲しみは忘れられない」まま、と付加される。何が続くのか、どんな朝なのか、悲しみはどんな種類なのか、は聴き手に任されているように。ただ、奇妙なのは「眠りにつくまで そばにいて欲しいだけさ 見てない時は自由でいい」というところで、ずっとそばにいて欲しいのではなく、「眠り」という瞼が落ちた段階までのそばいてくれる安心と、ただ、「見てない」時は自由でいい、というのは矛盾というよりも主客未分化の轍がぼんやりと浮かぶ。カント的ではなく、西田幾多郎のような、主観と自己の在り方の模索に没交渉的な認識論が関わってゆく、そんな。

他方、ピアノの音色に引き寄せられ、「さらさら」よりもポップで軽やかもある「僕はきっと旅に出る」は、旅をモティーフにしながらも、「今日もありがとう」、「僕はきっと旅に出る 今はまだ難しいけど」、「朝の日射しを避けながら 裏道選んで歩いたり」、「きらめいた街の 境目にある 廃墟の中から外を眺めてた」と、旅に出る理由よりも、旅という概念の周辺での思惟や想い出の断片が残る。旅に出たいと想っている主体は、でも、きっと、というフレーズで旅の予感に身を委ねる。

今年になって、雪崩れるように時々刻々、景色が変わってゆく。

それは、メディアの機能性どうこうではもはやなく、思考停止的に受容しないといけない現実も増えていることかもしれず、そこで深く思索を詰めるには、同時並列で社会・政治的情勢の変化が激しすぎるような気もする。だから、「明るく生きよう」、「頑張ろう」というスローガンは以前よりも空洞化している。一時期、「絆」という言葉が多く見受けられたが、人との結びつき、以外に離れがたくさせてしまう縛りも含意していたせいか、絆は自由ばかりを結わない。

誰でも何かを発言できるかのようになったかのように言われる瀬でも、声の小さい人たちのメッセージはより届かなくなってもいる。

声の大きく、饒舌な人たちが何かしらやはり強引に舵を切ってしまう。
そこで、誰か(社会)に(見てない/)見られていない間だけは自由は保てるのか、考える。