IN-SIDE OUT,OUT OF BLUE

病院に病気で入ると、病人になる。

何を当たり前のことを、と思うだろうが、何らかの組織に組織人として入ると、その組織の中の人になる。中、つまり、「内側」というのは、結局、学閥や派閥、部署、人間関係、どのフロアーの誰彼が何とか、入ってきた新人の評価、終わったら、その愚痴などをアルコール・ランプで炙ったりして、家に帰る。

家庭ができあがれば、また、それぞれの家庭の色が出てくる。家庭の中のルールや決まり事はそこを軸に育つ子供にとっては最大の約束事で、昨今の核家族化未満ともいえる、ユニット形成が社会構成要素に必ずしも結実し得ないケースだと「お隣さん」は、ときにもっとも無関係な人だったりもする。何かしら地域共同体で事件が起きた後、「真面目そうでいい人だったのだけど。」、「公園を子供と散歩されたり、良い家族でしたよ。」などの近所の方の言葉がメディアでカット・アップされる。でも、コミュニティとは今は親密圏と記してみて、包摂と排除の論理より、積極的に関わりあわないという選択肢で自身の平和やプライバシーを保つ。だから、街の回覧板ついでに何か話し合ったり、みたいなこと自体の疎ましさが先立ち、そういう景色が減る。回覧板もメールになったり、街の掲示板に貼られている注意書きを「共有」してください、となる。

例えば、今春、個人的なことで少しトラブルになったのが、実家の枝垂桜があれこれ写真を撮られて―写真を撮られるということそのものは良いものの―悪意ある二次利用をされたことがあった。自然のものを巡る人間の解釈はそれぞれだし、自然に悪意はない。でも、それが何かしらフィルターを通すと、「自然」ではなくなる。

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どんなところでも、内側に長く居てると、随分と感覚がズレる。

セカンド・ライフ推移にうまく成功した人たちはそんな「内側での記憶や所業」をある程度、ニヒルに受け止めつつ避わし、旅行やウォーキング、趣味、色んなものにスライドする。それに推移失敗した人は「元〜」で固着しすぎてしまう。

もちろん、「内側」で偉い人は沢山いるし、どんな仕事でも名刺を戴くその背景には役職以上の苦労を想う。年配の方でも「元・専務理事」みたいなものをいただくと、畏敬の念を持つ。過去の武勇伝は人の数だけあるというよりも、例えば、特に経済誌では「勝ったもの」は「何でも喋っていい」らしく、色んな企業の偉い方、偉かった方は苦労話から立身出世を語る。

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父の半生を纏めるのもあり、彼の生き方を聞きつつ、参考程度に同じ年齢くらいの人たちのそういった本を見ていたら、確かに満州で引き揚げてきた人、戦後のなにもない場所から我武者羅に働いた人、大病を患いながらもどうにか生き延びた人、素晴らしい人生の宝庫だが、なんだか膨大な数を見れば、そう誰も大差はないとさえも思える。みんな、「内側」に困難と栄光が必ずあるといえるからだ。そして、生き延びて振り返られる時間があるだけ、良いのかもしれない。

京都で、時おり東北から子供を連れて、避難してきた人たちの会合に参加させて戴くことがある。やむをえなく、シングル・マザーになってしまった人、子供の問題、仕事のこと、母郷のこと、全部、現実が迫るし、すぐに解決はしないことばかりだ。

この2年で幼児退行を起こしている子も少しずついると知己の医者が云う。あまりのショックを前にした最初は、人間は耐えるが、記憶の「内側」に克明に刻まれた景色は心理的に何らかの不具合をじわじわと埋め込む。ベトナム戦争のときでも、戦争帰還兵のアルコール中毒の問題なども記憶が目の前の現実をただ、チェスの余白を埋めるように、逃げ場をなくしていくからなのかもしれない。

ただ、ここまでに書いた文脈で言う記憶は「内側」ではあるが、「外側」にも拓けられる。それは、言葉や表現の妙、会話、色んな技法を駆使すれば、伝わる。伝わらない誤配を憂慮すれども、この世で全く同じ感覚を占有しているなんて有り得ないからだ。