Thinking about seeing BLUR at Jarkarta

インドネシアは、総体人口は約2億4,000万人を越えた、と公的にいわれている。

さらに、ジャカルタなどの都市部における血気盛んな層はネット・リテラシーが高まり、今回のBLURでも兎に角、海外の映像をディグしたり、音源のダウン・ロードをしたり、ネットから「世界」を見ている節があり、United Nations /International Telecomunication Unionの調査では、08年から12年のネット人口増加率は、中国、インドという母数が10億人を越えてくる大国に並んで三位、3,900万人というデータが出され、昨年度のネット人口は5,500万人とされているが、比率的に5,500万/2億4,000万というのは驚異的な伸長だと思う。

そして、中国でいえば、微博(中国版Twitter)やグレート・ファイアーウォールという大幅規制がまだ未然こともあり、TwitterFACEBOOK利用者、また現地SNSの種類も非常に多い。

なお、今見ていると、A WORLD OF TWEETS(http://aworldoftweets.frogdesign.com/)で、ふと上位五か国に入っていた。(※しかしながら、普及率は23%、情報の非対称性は各新興国に比して、断然高い。)

だからこそ、新・中間層の市場を狙おうとするマーケターとこちらで会っても、どこに「埋蔵金が眠っているか」という話になり、昨晩の主催イベンターはこれからもっと世界的に大きなバンドを招聘したい血気盛んな様子もうかがえ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズレディオヘッドなどの名前も考えているようだったが、イヴェント自体は完全成功だったのか、それは違う気もした。オフィシャルTシャツも日本円で4,000円前後っていうのは買わないのは、海賊版カルチャーの影響も副次的に感じる。日本ほどCDというパッケージングものが律儀に正式価格で売られている国はないと思うくらい、多くの国では真贋の境目は知的財産権がどうこうの趨勢はあれども、微妙なのは否めない。

当該会場は、ラルクウィーザーもやったというだだっ広いスクエア。昔のアメリカでいうヤッピー的な現在、ITや不動産、投資関係で財をなしている層も多く、一応、衣装は洒脱な方も散見された。BLURまでのVAN SHEやTHE TEMPER TRAP、TEGAN AND SARAは認知度的にどうなのか、というよりも、新興国圏域で何かしらこういうものをすることの艱難さは、北京でのボブ・ディラン公演を想い返しても、なんとなく、分かった。

現地メディアはデーモンやメンバーの言を取り、インドネシアという国が確実に文化的な豊潤さを持ってきている国と喧伝している。

また、多民族国家としてグローバル言語として「英語」は通じるが、インドネシア語のみならず、スンダ語、ジャワ語などがやはり主で、日本でもそれは変わらないかもしれないが、同じくインドネシア語膠着語で、「英語脳」とまではいかず、BLURに関しては日本でもそうだが、結構、英国的な表現や既知やキャッチーなラインばかりではないのもあり、今回もHYDE PARK仕様のいわゆる、『PARK LIFE』内曲群は抑え目で、それは「Tracy Jack」とか「Jubilee」のニュアンスが難しい、そんなところも感じられた。だから、BLURでも目新しさよりも“拓かれた”20曲ほど。

「Girls And Boys」はやはりポップでキャッチーで語呂合わせ的な歌詞も歌いやすく、周囲でも湧いていた。「Tender」もゴスペル的なのは万国普遍に受け入れられる分かりやすさが含まれ、「Song2」はUSでもブレイクしたようなBLURの大文字のパンク・ソングなのもあり、だから、「The Universal」もそうなのだろう。

オリンピックの金満主義を唾棄しながら、ライヴで英国的なパフォーマンスをして、その後、世界中を巡り、場所によっては比較的、今回のジャカルタと似たように角のないリストを組んできているのも彼らの明確なサービス精神なのだと思う。

実現していたら、日本はもっと“らしい”構成を組んでいたと思えるのだが、今回、ヨーロッパ諸国、US以外にトルコや香港、メキシコなどが入っているのも考えると、呼べる地域や国の潜在力に応じて、いわゆる、ポピュラー・ミュージックのレバレッジ・ヴァランスが分かる。