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移動」が便利な世の中になり、手段も沢山選べるようになりました。

今でありましたら、格安航空券を利用すれば、或る程度の時間と健康が備わっていましたら、アジア方面のみならず、ヨーロッパ、アメリカにも比較的、容易に行けるようになり、ただ、空港での手続き諸事、飛行機も完全な安心―そもそも、日常に完全な安心はないですが―ではなく、慣れないしんどさがあり、それは公共交通機関の色んなものに言えることで、いまだに日本の新幹線、電車、バスの精確な到着時間にはふと当たり前ではないのだな、と思います。

RADIOHEADに「LET DOWN」という曲があります。このテーマは端的に“motion”。ずっと動き続けることで、自分の感情がどこかにいってしまうというもので、速度過多内で停まった人たちを見ているという密閉性を描写しています。

Taking off and landing / The emptiest of feelings”―

移動という外部と、感情と内部の併存、入れ子構造。遠足も出張も、無事に帰宅、帰社するまでが全てというのは、移動は過程であり、過程とは移動です。到着地につき、やるべきことまでの移動内で多くのものが窓越しに流体的に消えてゆく、その際の孤独。

しかも、移動はカンファタブルではないことが多く、飛行機でもたまたま同じ便の同じ場所で、何かと怒号をあげる人が居ましたら、寝よう、や、仕事をしよう、そういう行為性の阻害が為されます。

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3月のこと、京都、奈良間の特急に乗っていましたら、行楽シーズンとバッティングしましたのもあり、喫煙席しか空いておらず、ただ、時間調整を考えれば、と立って、デッキに居ましたが、あちこちから色んな声が響いていまして、おそらく、「特急料金を払っているのに〜」というもので、そこを車掌の方が慇懃にお詫びをしながら、一人ひとりに対応してゆく姿を見ながら、どうにもしんどくなってしまいました。しんどくなる公共空間、密閉されました移動空間は紙一重の集体的な感情の連なりを決壊させるのかもしれず、そのときはスルーしておけばいいのか、積極的に公共機関を使わない、というのはどうやっても難しいですから、ただ、移動によって失われたものを失わないでいられることも考えないといけないのかな、とも思います。

Don't get sentimental / It always ends up drivel