キリンジ『Ten』によせて

ずっと彼らの来し方を追ってきた人ならば、シンプルに、なおかつ成熟を包み込んできた前作『Super View』の時点で、予想は出来たかもしれないが、同時製作で進められたこの『Ten』(http://cookiescene.jp/2012/10/super-view.php)では堀込泰行堀込高樹二人でのキリンジとは最後になる。

物々しさや精巧に練られた職人的な要素よりも、一筆書きの瞬間に過去のあまたの音楽的な実験が活かされ、閃く、そういう意味も敷ける。そして、シティー・ポップス、カントリー、オールディーズのような音楽の本質が跳ねた曲、ストレンジ・フォークと呼べそうな曲、ミニマルに絞られた稚気とイロニーに挟まれた曲、掘込氏双方の最近の傾向が明確に詩・曲に反映されている。

ただし、敷衍しておかないといけないのは、ここには『ペーパードライヴァーズミュージック』と自己韜晦気味なタイトルを付し、当初から老成したセンスの良さを録音に向けるブライアン・ウィルソンヴァン・ダイク・パークス、またはカート・ベッチャー的な鬼気とは若さでもあり、この『Ten』に老成を感じるのは逆説になるのだと思う。“Stimming(気分)”と“Gemuit(情緒)”の二線を敷いてみれば、前者は、後者より深い無的な何かや本質への近接があるのか、そんなことを想うと、キリンジとはStimming次第で一気に晴れやかだった空が重くなることも示してきた。

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太陽に身を凭れトランペットが叫ぶよ
赤黒い雲 燻る闇の音色(トーン)

(「風を撃て」)

もう、憂鬱はいつものように 優しく包んでくれやしない
低い温度でゆっくりと 僕らは火傷をしたんだ

(「雨を見くびるな」)

たとえ鬱が夜更けに目覚めて
獣(けだもの)のように 襲いかかろうとも

(「Drifter」)

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ポップ・ソングとメランコリアの関係性―。

それは、ときに実存主義構造主義に遷移した時期の「個」と「集」を思わせる。ポール・ヴァレリーが、第一次世界大戦が終わり、嵐の終結とともに、我々自身に嵐のように起ころうとしているのは不安、だ、と述べたのは進歩主義、マテリアリズム、制度への個人回帰に附箋を貼れるが、この今、嵐は外を掻き乱すものなのか、ずっと、外部にあったものなのか、と考えると、キリンジはあたかもスタイリッシュで不穏と麗しさを巡り、ポスト・モダン的にクールに日本語詩を結い、そこに豊潤な音楽の実験をしてきたように視えるのは未決定の不安に揺れるがゆえの武装だったような気もする。

元来、ポップ・ソングとは聴く者の心身をアップリフティングさせ、更に、商業音楽として受容されるマスが変わるほどに日常の中に当たり前に音楽は溶け込み、音楽は日常の隣にある―そんな当然が生まれてもきたが、果たして、それは当たり前か、というと、相対的で厄介な解釈になる。世界中で愛される、カーペンターズは「雨の日と月曜日は」で、雨の日と月曜日というのはどうにも気が塞いでしまうことを歌い、そのときから、ポップスとは雨の日や月曜日はどんな国のどんな人にとっても浮かないものであるから、それを歌に乗せて、風、ラジオ、レコードに運ばせようというところもあったのかもしれない。

“Stimming”とは、非規定たる人間が社会内で生きることの生体リズムを如実に輻射する。

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この『Ten』に先駆けて「ナイーヴな人々」(http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=7M1NLLlsCLA)という曲をリードで発表したが、レイドバックしたムードに、シャッフル調のポップネスが淡く雨音が水たまりを撥ねるような佳曲で、過去に音楽が寄り添ってきたナイーヴな人たちの日常の背中を改めて優しく押す。

医者が言ったよ
「励ましの言葉は禁物です。」って
そうなの?
それはそれで 正しかろうが 
君に僕は期待してるんだ

(「ナイーヴな人々」)

ナイーヴ、ということは時おり否定的な見方もされる。

…敏感になり過ぎないこと、大袈裟に捉えすぎないこと、悲観的にならないこと、健やかに安全に生きること―そういった標語が学校や世には溢れていたとしても、綺麗事で風景は変わらない場合もある。まして、この今、世界中のニュース、日本に居て、一抹の不安など持たずに生活するという行為は不可能にも近い。絆、頑張れ、そのままでいい…インフレのように美辞が押し寄せながらも、それは本当に「それ」で真実なのか、分からなくなってもいる。

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結成17年、10枚を重ねたオリジナル・アルバム。一旦の旅の終わり、のようで、まるでそういう重々しさと無縁で、これまでのキリンジのアルバムでは一番、ラフで、コンパクトで「途程」のような作品でもある。何より、最後の10曲目には東日本大震災へのチャリティー配信シングルとしてリリースされた「あたらしい友だち」がこのアルバム用ヴァージョンとして、ピアニカの音からより親近感を持ったものになっており、キリンジの音楽とはこれまでも、ずっと多くの人の近く、で響いてきた、そんな気にもなる。成熟とは若返り、結果を出そうとすることではなく、過程に戻るということなのかもしれない。

新しい鞄と 新しい靴で

新しい友達

遠くを見てるね

いつかきっと懐かしい空が

君を迎えてくれるだろう
(「あたらしい友だち」)

Ten(初回盤)

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