things that you know about RADIOHEAD is a little bit-prelude

近く、連載としてある媒体で英語で始めますが、今回はあくまでプレ版として日本語かつフリーミアム的に。

もう今はなくなった、大阪は日本橋の電気街のマンションの一室のブートレグ・ショップでレディオヘッド、前身のオン・ア・フライデイの音源を漁っていたとき、その店員の方に言われた言葉を覚えている。「(レッド・)ツェッペリンとかの方がダイナミックで楽しいよ。」―YEH、きっと、そうだと思った。そこで、僕は初期のEPに入りながら、なかなか音源入手が難しかった「Drill」EPを含んだ雑音雑じりの海賊版を買った。「Stupid Car」という曲が聴きたかったのもある。90年代を折り返し、10代の後半の時期のことか。そんな時期はどうでもいい。

後年に、行って感じたUKのオックスフォードという学生街のゾッとする雰囲気、そこの南部、近郊の街、アビンドンが彼らのベースとなる地で、フロントマンたるトム・ヨークノーサンプトンシャー州ウェリングバラで生まれ、父親の仕事の関係で各地を転々とする幼少の8年間をおくる。

また、もはやバイオグラフィーで語られ尽くされていることだが、彼は生まれつき左目のまぶたが落ちた状態で、医者から”不治”とも言われており、手術により開くようになったが、今でも彼の左目のまぶたのチック的な感覚と奇妙なダンスは世界内で、外れた者の宿命も感じる。そういった外見は、からかわれる対象になるのが「学校」という狭いカテゴリーの中でのハイアラーキーであり、彼自身は学生時代からひどいからかいを軸に世界そのものへの復讐心のような、アイロニカルな視点が内在している。バンドをすることは世の中へ復讐するみたいなもの、そんな言を残していたこともあった彼を囲み、パーマネント・メンバーたるコリン・グリーンウッド、エド・オブライエン、フィル・セルウェイ、ジョニー・グリーンウッドがアビンドン・スクール時代で出会い、金曜日にセッションをするという意味から“ON A FRIDAY”と名乗り、拙いながら、カレッジ・ロックとしてR.E.Mの流れを踏まえ、スミスからジョイ・ディヴィジョン、ヴェルヴェッツ、ザ・フォールまでの仄暗さを咀嚼しては、劇的な曲を生み出すというバンドではなく、ミドル・クラスのやや鬱屈した人たちがロックという音楽に魅せられた経緯で見出していた共通点は「疎外」であり、今は、彼らは彼ら以外を「阻害」しているという郵便性に至るまでには長い歳月が要る。

彼らは兎に角、ここに居ることを拒むバンドであり、それは初期から貫かれており、ただし、そのここは周囲からしたら、革新に見えても、ときにバンド・サイドの気紛れにもよる。

日本では見えづらいが、世界にある階級制度に関して附箋を貼れば、彼らはミドル・クラスということになる。ただ、オックスフォードの街にはそのクラスの差分もある。つまり、地元にずっといる人と、大学、アカデミズム関係の溝。その溝を考えると、彼らのホームタウンではずっと底流を行っていたともいえ、家柄はどのメンバーも悪くなく、知的レヴェルも決して低くないが、抱えていた感情は相当なものがあったと察する。

日本でも例えば、多くの人が大学に行く時代になりつつ、そこでのハイアラーキー、ローカル内での値踏み作業は容赦ない。トムはエクセター大学時代、ヘッドレス・チキンズというパンク・バンドをやっていて、金色の髪を振り乱していたとおり、その音源を聴いても、ラフでロウだ。

そして、メジャー・レーベルとの契約に関して、トーキング・ヘッズの曲内からレディオヘッドと名乗り、想わぬ形での「Creep」という曲が全米のスラッカーズ・ディライトとして火が点いてから、むしろ、トラジェディの道が用意されることになる。グランジオルタナティヴへのUKからの返答。ジョニーの印象的なギター・カッティング。世界中の、打ちひしがれたものたちへの手を差し伸べるようで、突き放す、今ではシンプルともいえるヴァース・コーラス・ヴァース形式に則った感情のタイプキャスティングを促すように、神経症的なトムの声、まだ固まっているとはいえないバンド・アンサンブルが醸す青さ、それがジェネレーションX世代の心を射抜き、今でも愛される曲だというのはベックの「Loser」と並び、僕には時おり視えなくなる。放送禁止用語、ダメな自分、ファッキン・グレイトな君、それを昇華する嗚咽(Creep)―

※$@SSSタイプミスのように。

シリアス過剰なバンドはそして、側道に乗り上げる。