春を前に

30代に入ってからなのかもしれず、世の中や子供たち、それは身近な甥や姪の存在も大きいのだが、未来について考えることが増えた。

「自分勝手に生きてきた割に今さら都合がいいね」、とは言われるのは分かっていて、今でも、自分勝手に生きてはいるので、そう、大したことじゃない。そして、あの震災が起こってから、僕は生き方や考え方が全く変わってしまった。「〜から」とすると、あたかもキッカケ的な何かになったような気になるので無礼にもなるし、京都からTVでずっとあの状況を見ていること、ACの繰り返される映像に頭が滅入った。眠れなくなった。関西も安心ではないという気になり、人間の無力さと臆病さを改めて思い知った。知り合いも亡くなっていたり、心に深い傷を負っていたり、そこから僕はほんのわずかだけど、ほんの、ほんのわずかだけど、世の中へ届けられるかもしれない、言葉や希望的な何かの周縁を模索し、並列して、現実へ知識を注ぎ込むように命を賭すようになった。ある進路の分かれ目で、国際金融経済、中国経済などのいわゆる、大きいフィールドへの打診を受けたとき、悩みながらも、新興国経済への道を選んだ。

そのときの上長は「あなたらしいけど、真ん中にもう戻ることはないのは覚悟しなさい。」と言われた。真ん中、主流ではないということ、そんなのは分かっていた。真ん中を生きてゆくつもりはなく、これまでもこれからもない気がしていたからだ。ただ、今、その主流ではないはずの分野に注視が集まっている不思議な倒錯があり、まだ駆け出しなので、応えるに事足りない身なものの、主流じゃなくても、主役を選ばなくても、生きているのだと改めて知った。

誰も主役になりたがるけれど、色んな国や場所に行けば、日常が主役にさえ想える。夜にお酒を飲んで、朝の眩しさに目を細め、昼、学び、労働し、誰か、大切な人を考え、忘れ、バトンを渡す。

きっと、黒幕はいない。

でも、ささやかに味方は居て、暖かな息吹が聞こえたら、春は平等に訪れる。

春に環境が変わる人は多い。ただし、日本で迎える春はあの2年間で何が変わっていないのか、を考えるほど重く厳しい状況もあり、政治状況の変化も踏まえて、喜ばしいだけの春ではない。TPP、水、財政、雇用、インフラ再興、文化保護、原発…尽きず、課題だけが各々に迫る。僕はといえば、アジアと日本を往来することになり、でも、ペースは落とさず、考え続けるだろうと思う。

桜は綺麗だよ、とみんなに伝えながら。