梅林の向こうに

3月に入って、多くの梅を観て、多くの考え事をして、常にモノが増えてしまいがちな自分には珍しく、整理をした。誰かを悪く言うことに慣れて、誰かを犠牲者にして当たり前に振舞うことに慣れて、仮想敵は自分なのかもしれないと振れて、いつの間にか、深い人間不信のようなものに陥ったりもしたり、体調を崩したりもすることもあったけれど、その中でも、有難いことに、人には恵まれて、ここまで来ている。

いつも春になると、どういう気分でいればいいのか、言葉を喪う。
喪った言葉の分だけ、想いは撥ねる訳で、その想いは家族か、友達、恋人か、まだ出会ってもいない人か、分からない。それでも、ただ、そうじゃない領域で今、自分より下の世代に何を残すか、上の世代に新しい概念をどう提示するか、抱え込むことが増えて、特にこの数年、大文字の粗さと小文字の残響を行き来しては、もう隠居している恩師に長い便りを書いた。恩師からの文面の、「あなたらしく、雑音は無視して、自分の行なゑることを決めて、一つずつこなしていきなさい。並列にやろうとするのは浅愚です。」との言葉に、少し気持ちが軽くなった。

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気付けば、あと10日ほどで、34歳になる。まだ全くの若輩者で、半可通の青二才と思うと、肩の荷は降りる。ゆえに、積み上げていかないといけない現実を見詰めてゆくべき年齢に愈よ来ている気もしている。発言力と責務、未来への導線、知識の活かし方。無論、自分一人で遣れることは、「しれている」。

ただ、「しれている」中で、ある程度は高等教育を修めた者としての社会に還元する「義務」と、その還元した先の土壌に咲く花は見届けたいとは想っている。また、教職者の父親から口酸っぱく言われてきた、大まかなガイドラインではなく、社会の複雑な細部、構造を見つめること、性善説までいかないまでも、或る程度、世の中を信じ過ぎているきらいもあった部分をどこかスライドしないといけない過渡期でもあり、権利や拝金、功利ばかりで歪に軋んでしまった社会にもう少し、曖昧でニュートラルな価値観を表象出来るような境界を歩きたい覚悟は定まり、そうなると、自己/非自己の設定(基準)がかなりシビアになってもいる。そういう文脈で、今の日本の、スキームを再考するための「システム」論やサステナビリティへの視座を深めている。

「街」に中っている場合じゃないにしても、ロマンティシズムのなさにはやや辟易してしまうし、新しい意思が暗渠に徐々に刈り取られる過程をトレースするのにも違う気がしている。だから、価値の相対化をはかり、意味を取り戻すための体系言語を編み直すために模索している。

梅林の向こうに、春は啼く。ウグイスに似た気配で。