【REVIEW】電気グルーヴ『人間と動物』

電気グルーヴの待望の新作として捉えられる層はおそらく、それまでの彼らをよく知り、石野卓球のDJ、外部ワークス、ピエール瀧の動きを踏まえて、対峙したのだと思う。

少なくとも、近年では、08年の『J-POP』、『YELLOW』の二枚、ツアー、纏められたDVDでのサービス過多とも思えるステージングで楔は置かれつつ、『20』、タイアップ絡みでアシッドに攻める「Shamful」、80年代的な懐かしいエレクトロニック・ビートに彼ららしい一筆書きのようで、そうでない、遊びの感覚が見える「Missing Beatz」というシングルが続いてのアルバム『人間と動物』―

ここには新しく胸躍るというよりも、電気グルーヴ、つまり、石野卓球ピエール瀧の二人のセンスが濃密なまでに溢れていることは地続きで地表化している。

本編9曲、シングルのアルバム・ヴァージョン含めて、今や“ボカロ“以降、中田ヤスタカヒャダインの流れが「本流」になっている中での叮嚀でややノスタルジックなビート・メイク。好戦的なところもある歌詞。ニューオーダーを始流としながらも、一時期にあったテクノ・ミュージックそのものへの傾心よりはポップなフックが多くあり、分かりやすく無意味で刻まれた日本語が胸に入ってくるバウンシーかつトランシーなさま。

それは、00年の『Voxxx』のときのような過剰性はなく、ややストイックに押しとどめてもいるところが近年は顕著だった。

この作品でも、7分を越える「P」では彼らのドロドロした無為性をいかんなく押し込んでもいながら、これはライヴでは不気味な空気を生み出しそうな気もするが、切ない「Slow Motion」で被さるエレクトロニクス、二人の重なる声、トランシーな「Upside Down」、叙情的かつ反復のバレアリックなイメージが突き刺さる「Oyster(私は牡蠣になりたい)」、モンキーズのカバー「Steppin’ Stone」まで後半はとくにとても懐かしい雰囲気と、慕情を往来する。

アシッド・ハウスという時代は確かにあった。

そこから時間が流れ、ドラッグ自体もそうだが、
もっとレイヴ的な流れで、応えられる音にも世代格差も介入はしているのは感じる。

ポスト・ダブステップで踊ることが出来る層とニューウェーヴ的なダンス・サウンドにキラキラと夜をおくる層、そして、ディープ・ミニマル的な重く、少しの差異で体をスイングする層、「無音」で踊る層。その層異を考えると、「うた」が入ってきて、フックも多い、この『人間と動物』はいつかのNYのギャラリーを想い出す人も少しはいるのかもしれない。

まだ”分かりやすい”電気グルーヴがしばらく続いているということはまた、吹っ飛ぶ可能性もあるともいえ、そういう意味でいえば、既存ファンがジャッジするのではなく、大人の戯れがやや自家中毒性を帯びている、そこにそうではない人たちはどう反応できるのか、という観点が気になる。

懐かしむことは決して悪くない。
ただ、その懐かしみの中に新しい人たちは鼓動を感じるのかどうか、となると別物で、進む時間を跨ぐ際も事前気構えそのものが気にもなってくる。

人間と動物(初回生産限定盤)(DVD付)

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