【REVIEW】Francesco Tristano『LONG WALK』

この『Long Walk』は、2012年の3月12日からの数日間、日本は京都でレコーディングされていた作品であり、現代における彼のマルチに開かれた知性の一端を知ることができる。ルクセンブルグに生まれたフランチェスコ・トリスターノ(http://cookiescene.jp/2010/12/in-fine-boundee.php)はクラシック・ピアニストとして優れた証を残しながら、子供の頃から家族の関係で定所に留まるという生き方をしていないため、不思議な感覚が彼のピアノや多くの作品群にも貫かれている。

バッハやモーツァルトなどの古典解釈、ジョン・ケージ武満徹といった現代音楽への対峙、空間位相としてどれも「オブジェ」的な浮遊感がときに帯びる。アクチュアリティが真空パッケージ化され、今において有用性を持っていないと思われるそれを、新たな漸進解釈の近接により、既存の現実で援用された文法を抜け、純粋に「客体」として現前してくるという、そんな連続した潜伏性。ゆえに、彼の佇まいは形式と伝統的な篩からは正統ではないというイメージも受けてしまうことになる。デリック・メイのテクノ・クラシック「Strings Of Life」のカバー、オウテカなどのカバー、または、カール・クレイグのスタジオで実験と模索を繰り返し、新たな化学反応を求め、リサイタルでは鮮やかにバロック音楽への敬慕をパフォーマンスそのもので示す。

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今回、レコーディング場所に京都が選ばれたのはヤマハコンサートグランドピアノCFXの存在だけはなく、彼の親日家たる面も大きいように思える。ツイッターではレコーディング中に京都の雪のことについて触れたり、カタコトの日本語で挨拶をしたり、震災には心を痛め、出来ることなら何でもしたいとまで言う。西洋系の方で日本に染まってゆく方はその真面目さを言うが、彼の場合も和食や聴衆までを経て、自身の指先に意識を研ぎ澄ませやすい、そういうことなのかもしれず、明鏡止水、枯山水、そういった静かに美しい概念も芸術家はヴィヴィッドに反応する。

収録曲は、バッハに影響を与えたというディートリヒ・ブクステフーデの楽曲がメインになっており、バッハの「ゴルトベルク変奏曲 BWV988」から2曲、オリジナル楽曲「ロング・ウォーク」、「グラウンド・ベース」、更には日本国内盤には自作の「HIGASHI」という、静謐なタッチとどことなくオリエンタル叙情が揺れる曲が入っている。ブクステフーデを取り上げるという視点も面白いが、バッハが彼の演奏を聴き、感銘を受け、その影響の下、『ゴルトベルグ変奏曲』は作曲されたという歴史を踏まえると、そこをシームレスに結びつけるかのように構成をしているというのはトリスターノらしいマナーみたく思える。

饒舌に鍵盤の上を撥ねるように刻まれるピアノ、緩急自在ながらも、「静寂」が印象深く残響する。その「静寂」を自作曲の「ロング・ウォーク」、「グラウンド・ベース」では微分解析してゆく過程で、ミニマリズム、微妙な反復がベースにされた差異の音が奏でられ、作品そのものの総体を対象化せしめてもいる。

具体から抽象へと全編を通して伝統と、現在についての転換をはかる。新しい表現の確立のために、今まで遍く存在した多くの制約を仮にも全部、外し、全くらしき自由から始め、新しい制約と秩序を作り上げる、その分だけ手に入る自由は一度は通過しておかないといけないとしたならば、世界各地での公演を精力的に行ない、6か国語が堪能で芸術家にありがちな高尚さを迂回した至ってコミュニケーティヴな彼の飄然とした姿勢には、カテゴリーや取り決めごとではなく、音楽そのものが内在しているのかもしれない。

ロング・ウォーク

ロング・ウォーク