【REVIEW】くるり「Remember me」

音楽の届けられ方や形式の再定義が迫られる峻厳な時代になりながら、アナログをメインにしたり、精緻に音質に拘ったCD、ブックレット、付随する写真集やDVDまで美学を通している姿勢や配信との鬩ぎ合い、その中で最良の音楽の届け方を模索し、希いを託す表現者は改めて美しく思う。

例えば、今からほんの100年ほど前のアメリカ都市部での音楽の伝達手段は曲を構成する要素、旋律、伴奏までを抽出して、ピアノ用スコア的に流布させたというもので、1911年のアーヴィング・ヴァーリン「アレクサンダーズ・ラグタイム・バンド」は数ヶ月で譜面が100万枚を超えた、というのは有名な話だろうか。昨今、ベックも楽譜だけをリリースし、話題になったが、その後、世界中の多くのアーティストやオーケストラまでがそれを用い、曲を再現すれば、ベックは寧ろ音楽の自由性を考えていたのではないか、という気もする。

2012年のくるりの活動はとても暖かく精力的で、それは新体制としての『坩堝の電圧』(http://cookiescene.jp/2012/08/victor-2.php)を提げての積極的なライヴ・パフォーマンス、自ら主催する京都音楽博覧会の成功、多くのフェス、イヴェントへの参加はもちろん、大きい。古参のファンでも、いばらの道を歩いてきたくるりというバンドのサヴァイヴした現在の在り方に感慨を持っただろうし、新しく、くるりに胸を打たれ、知った人たちの往来があった。更には、「石巻復興節」、「soma」、「glory days」等の曲に宿る震災以降の日本に対してどう音楽は向き合う、向き合えるのか、という難題への文脈を敷こうと模索していた行為性にはシビアな知性を感じられた。

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岸田繁自身もTwitterを用いるなどして、積極的に多くの人たちとときに軽やかに意見を交わし、世の中への疑義を発信し、佐藤征史も同じく真摯に動いていた。そして、すっかりくるりのメンバーとなったファンファンや吉田省念もステージに並ぶと、胸に来るものもある。

その四人体制くるりの一度目の到達点として武道館公演が行なわれた前日に、『坩堝の電圧』以降の新曲となる「Remember me」が配信シングルとしてリリースされた。曲そのものはTVのプログラムで印象深い一部が流れていたのもあり、馴染みだった人も多くいると思う。ただ、くるりに関しては過去、そういう形でも何らかのジャッジメントの下にお蔵入りする曲もあっただけに、まずはこうしてリリースされたことを喜びたい。

曲そのものは、衒いやギミックよりもスケール感とある種、ストレートで雄大なバラッドになっており、誰もが足を踏み込むことができる入口の広さがある。ストリングスも入っているが、例えば、『ワルツを踊れ』の時期の純音楽と向き合うときにクラシック音楽を掘り下げないといけなかった、そのときのような切実な何かとは違い、この曲では水彩画の淡さのような日常を照らし、静かな意思に満ちた世界観の深みが増すように響く。

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ジャケットはいわき市の薄磯海岸での昨年夏、四人のシルエット。「ばらの花」、「glory days」のPVが撮られた場所。その場所が今度はジャケットになるというのは、今らしい表象方法だとも思う。何らかの形で曲を買って、出てくるジャケットは空白の認識にイメージを付加する。哲学者のメルロ=ポンティに倣えば、知覚の設計図、視ること、身体性へ敷かれる意味は聴く、読む、では追いつかない場合もあるかもしれないからだ。また、リリースされるまで、曲の一部が流れていたものの、それは楽譜の一部が行き渡っていたということであり、耳でコピーして、早速、ピアノでカバーしている動画などを観ると、既に曲は届いている、そんな気もしながら、誰もが待っていた完成曲はどんな場所に居る人にも「既に」馴染むだろう不思議なムードがある。

《ママになってみたいな 何処か遠くへと行くのかい Do you remember me いつか教えてよ あの時の涙のわけを 笑顔の思い出を》

曲内には「遠く」というフレーズが出てくる。抽象的な遠くでありながらも、家族のことを通しながら、人は出逢えば、生まれたら、いずれかは別れるときが来る、それをして、「遠く」という言葉に収斂しながら、主たる視線は残る側なのか、《どうか元気でいてくれよ》と投げかけるには主/客が見えない、つまり、生活絵巻、家族のつながりを上空から眺めて、そこにしっかり地に足が着くようにバンド・アンサンブル、メロディー、歌詞、細部までを詰めていったような雰囲気を推察すれば、聴き手(=生活者)のために寄り添う曲であり、ただ、くるりらしくないという人もいるかもしれないのも分からないでもない。

しかし、音楽は「作品化」され、商品的に中性化されてしまうが、冒頭に戻れば、自由たる音楽を不自由にしないために、あくまで比喩として楽譜だけがまず巷間に届き、こうして曲が記名性と匿名性を反復し、くるりとしてのスタンスを逆説的に浮かび上がらせる。音楽はまた、音楽に還り、手書きの便箋みたく、多くのポストに投函される。どこか遠くへ届くために。

重層的にハーモニー、コーラスがかさなり、ピーク・ラインとも思えるところで一気にスケールが拡がり、こう歌われる。

《すべては始まり 終わる頃には
気付いてよ 気付いたら 生まれた場所から 歩き出せ
歩き出せ》

遠く離れてしまっても、そこから歩き出そうと始めること。

パパやママが振り返る幾つもの想い出。大きくなったら、なる夢。

それらが結われるのはタイトルの「(Do you )remember me」(あなたはわたしを想い出せるかい?)―

聴き手のイメージが膨らむ余白にこそ意味が出てくる曲だと思う。

歌詞)

くるりWeb 1月16日 岸田日記より
http://www.quruli.net/diary/index.php?s_day=20130116&s_member=1




筆者注)iTUNES限定配信